ドラマ版『武士スタント逢坂くん!』の主軸は、“春”
ドラマ『武士スタント逢坂くん!』は江戸時代に春画を描いて生計を立ててきた武士・逢坂総司郎がひょんなことから令和の世にタイムスリップし、そこで運命的に出会った漫画家に弟子入りする物語。「武士」で漫画家の「アシスタント」なので、「武士スタント」です。
このドラマの脚本を書いている時は、それはもう激務な時期でして……。元々、脚本家になったのは「脚本を書くのが好き」だったからのはずなのに、あまりに「やらなきゃいけない事」が押し寄せてくるとその「好き」な気持ちは押しやられ、どうしてもキーボードに手が伸びなくなる。そして、ヨギボー(編集部注:ビーズソファ)に寝っ転がって、気づくと「5時間くらい経ってたよ☆」となってしまうのです。
が……!! この『武士スタント逢坂くん!』はなぜか自然と仕事部屋に足が向く作品でした。自分でも「不思議だなー」と当時は思っていたのですが、最終回まで書き終わった現在、脚本を読み返し気づくのです。
「ああ……逢坂くんにパワーを貰っていたんだな」と。
ドラマ版の『武士スタント逢坂くん!』の主軸は、逢坂くんが元々春画家な事もあって“春”と定めていました。
“春”を端的に表すのが難しいのですが、“恋”と“昂り(たかぶり)”ととらえてもらえてもらえたらば。そこには「色恋」の意味もあるし、もう一つは逢坂くんが漫画家を目指していく姿の「愚直な熱さ」も含まれています。逢坂くんはとにかく“春”に向かって真剣なのです。ピュアなのです。
「武士が現代にやってきた!」というと、どうしても現代文明に対しての驚きを描きたくなってしまうのですが、逢坂くんでは重点的には描きませんでした。これは、ヨコヤマ先生が作り上げられた原作でもそうだったと思います。
最初に原作を読み、企画の話をプロデューサー陣とした時はドラマにするとどうしても文明は画面に映ってしまうし、「全10話あるのでそういう要素も必要かもしれない」と話し合った記憶もありますが、結果として描かなかった。ある種キャッチ―な“ソレ”をなぜヨコヤマ先生はそこまで描写しなかったのだろうといろいろと私なりに考察し、いざ脚本に向き合い、逢坂くんの心に潜っていくとすぐにわかりました。
逢坂くんは、基本的に自分の『大好き』以外目に入っていないんだ……!
『大好き』……それは目指している『漫画』であり、師として尊敬する『宮上先生』であり、編集者として一目置いている『丹内さん』であり、共にアシスタントをする仲間たちであり。自分の昂りを信じ、自分の願いを叶えるためにひたすら邁進する逢坂くんにとっては冷蔵庫が冷たいとか、スマホとか、そんなに目に入る物じゃないんだな、と。
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ジャニーズWEST濵田崇裕さん、“まんま逢坂総司郎”説
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