VOCEで20年間続いた連載でアラーキーが伝えたかったこと
イェー、壮観だねぇ〜! この写真、約20年続いた230回分の連載を並べて、俯瞰で撮ったものなんだって?「愛ノ説明」は、アタシにとっても“日記”っつーか“月記”のようなものだったからね。2019年に1970年代に撮った写真の説明をしていたとしても、ページの中には、必ず今の気分が入り込んでいたはずなんだ。だいたい連載が始まった頃は、デジタルカメラも一応登場はしてたけど、まだまだ雑誌でも広告でも、フィルムカメラのほうが主流だったんじゃないか。それが、アタシのページ以外はいつの間にかデジタルが当たり前になって、どんどん、モデルの肌がツルツルになっていった……ような気がする(笑)。
そう考えると、よく20年も続いたと思うね。ほら、アタシは昔からディテールを撮るのが好きで、そのディテールっていうのは、街で言えば裏側とか、空にかかる電線とか、染みとか、チリとか。そういう汚れた部分、一見すると邪魔な部分に、人間と街の関わり合いが写っているように感じて、面白いと思ってしまうほうだから。そういう意味ではアタシの写真は、キレイがテーマのVOCEみたいな雜誌には、あまり似つかわしくなかったかもしれないね。
でも、だからアタシは主張してきたの。デジタルで撮影したポートレートのシミとかシワとかホクロとか、被写体の持つディテールを、何でもキレイに消しちゃう風潮は好きじゃないって。何年か前に中国で出版された本なんか、こっちは一切取材されていないのに、雜誌のインタビューなんかを勝手に引用して、アタシの文章として掲載してるわけ。写真だってデータに取り込んでるもんだから、勝手に修整するんだよ! 参っちゃうよ。後になってその本を見せられて、文句言うんだけどね。「俺の写真は、こんなにキレイなだけのダサい写真じゃないゾ!」って(笑)。
キレイすぎる写真の何が良くないかっていうと、面白くないことだね。歴史も物語も何にも写らないから、「いつまでも眺めていたい」っていう気持ちにならない。あまりに嘘っぽすぎて、「この世界に入ってみたい」と思わない。要は、写真とカンケーできないんです。
広告写真なんか、ただでさえキレイにメイクしてデジタルで撮ってるのに、そこにさらに修整を加えてたら、最後はもう別人ですよ(笑)。見る側も、ここまできたらさ、「写真は嘘だ」って前提で見ればいいんだよ。写真に騙されている世の中を面白がればいい。そもそも、コミュニケーションなんて、嘘つかれて騙されて、勘違いすることが前提なんだから。“騙されて勘違い”なんて、恋愛そのものだろう?(笑)
デジタル写真が全盛になってからは、女優なんかがちょっと老けた顔に写ると、すぐ“劣化した”とか騒ぐらしいじゃない? でも、そもそも見る側に情とか思いがあれば、人のシワなんてむしろ魅力的に感じられるはずなんだよね。なのにデジタルっていうのは、そういう情や思いを取っ払って、キレイの物理的で客観的なデータばかりを羅列していく。直接その人に会ってみると“魅力的なシワ”に感じられたものが、デジタル写真を通して見ると、“医学的見地からしてただのシワ”みたいになっちゃう(笑)。
街の裏側、チリに染み。そういうのに惹かれるから、アタシの写真はすぐセンチメンタルになっちゃうけど、それがつまりデジタルに写らない“情”ってことなんだろうなぁ。
次ページ
煩わしいタワシで肌を磨け!
- 1
- 2