なぜメイクは多様なのか
かつて、私の洗面所はきれいでした。物が少なく、常に片付いていました。高校生のときから変わらない、スッキリサッパリする洗顔料。ずっと使っているヘアワックス。使い捨てのひげ剃り。以上。本当にそれしか置いていなかったからです。
学生の頃は、もう少し色々あったように思うのですが、いつの間にか仕事の日のモードと、決まり切った休日のスタイルだけになっていました。もちろん、メイクするなんて考えたこともない。
それが楽で、快適なのであればそれでもいいでしょう。でも、私はスーツなんて嫌いだったし、生きるのが苦しいと思っていたのです。それなのに、すっかりその状況に適応してしまっていました。「こんなもんだ」と……
メイクを始めて改めて気がついたのは、私と違って、妻はじつにたくさんのモードをもっていることでした。彼女は、その日会う相手や、行く場所、着る服装によってメイクを変えます。
友達と遊びに行くときはストリートファッションに合わせたシンプルなアイメイクに、ネイルの色と合わせたリップ。会社に行くときは、アイメイクはラメ入りになり、チークも足しているようです。大切な会食ともなると黒い服に、濃いピンクの口紅を合わせることもあります。
さまざまなメイク、さまざまなモードを持ち、それを切り替えることで、そのつど自分を定義しなおす。これはひょっとしたら、私と同年代の女性にとっては当たり前の行為なのかもしれません。
私はいつの間にか、そういった多層性を失っていました。もっと色んな「自分」があったはずなのに、いつの間にか奪われてしまっている。メイクを知ることによって、私はその平板さに気がつくことができました。そして、それまで「ゴチャゴチャしてるな」としか思わなかった洗面所のアイテムたちが、さまざまなモードを使い分けるための道具だと気付いたのです。
メイクは、単なる社会への適応でも、ただの贅沢でもないのです。私たちは、多様な現実と戦うために、多様な自分に変化していきます。メイクをする人は、そのことを身体で分かっている。つまり、すべての洗面所は、現実と戦う準備をする場所なのではないでしょうか。
※写真中央から
<NEWS!>
この連載が漫画になりました! 併せてお楽しみください。
『僕はメイクしてみることにした』
STORY
前田一朗、38歳、独身。平凡なサラリーマン。ある日、自分の疲れ切った顔とたるんだ体を目の当たりにしてショックを受けた一朗は一念発起、メイクを始めてみることに! 薬局で出会ったコスメ大好き女子のタマちゃんを「師匠」と仰ぎ、失敗や迷いを繰り返しながら、自分を労わることの大切さやメイクの楽しさに目覚めていく。
5月15日初回公開【マンガ新連載】第1話 僕がメイクを始めた理由
撮影・文/鎌塚亮
Edited by 大森 葉子
公開日:
- 1
- 2
この記事に登場したコスメ(3件)