【執筆したのは……】
鎌塚亮
1984年生まれ。会社員。セルフケアをテーマに文章を執筆。メンズメイク初心者。
Twitter: @ryokmtk
note: 週末セルフケア入門
「夫婦でコスメをシェア」は素敵か?
私がメイクをするということは、自宅の洗面所にモノが増えるということです。スキンケア用品や日焼け止めなどを導入することによって、洗面所のエントロピー(編集部注:乱雑さ)は飛躍的に増大することになりました。妻と二人で出かける際は、鏡の前で騒動が起こることもあります。
よく「夫婦でコスメを共有するなんて素敵ですね」と言われます。私もそう思っていました。いい化粧水を大きなボトルで買おう。乳液もそろえよう。あれもこれも……しかし現実には、うまくいったものも、いかなかったものもありました。
私と妻では肌質も違えば、ファッションの方向性も違います。私は乾燥肌よりの普通肌で、彼女は敏感肌。だから、私が「これいいな」と思った化粧水でも、彼女には合わないケースが少なくなかったのです。
妻の肌に合わせた化粧水を使うと、今度は私が物足りない。いまひとつ保湿力がないし、香りもハーバルすぎる。そうして、化粧水は別々のものに落ち着きました。
一方、日焼け止めは好みが一致し、おなじアイテムをシェアしていました。しかし、毎日ふたりが消費すると、あっという間になくなってしまいます。洗面所で「日焼け止め、どこに置いた?!」と叫ぶケースも多発。そんなわけで、同じ日焼け止めを二つ買うことになりました(大きいチューブで売ってほしい)。
シャンプーとコンディショナーは同じものを使っています。というより、ヘアケアのリテラシーが私にないため、彼女の使っている良さげなシャンプーを使わせてもらっていると言った方が正確でしょうか。
このように、シェアできるものとできないものがある。当たり前の現実です。共有して合理的になるものもあれば、分けておくべきものもあります。それは家計との兼ね合いで決まる。なんだかリアルな話になってきました。洗面所の秩序は、このように理想と現実のバランスの上に成り立っています。
マーフィーの洗面所の法則
いや、嘘をつきました。ちょっと取り繕ってしまいました。正直に言えば、つねに洗面所の秩序は崩壊しています。開き直って言わせてもらえば、洗面所なんてものは、いつだってとっ散らかっているのが本当ではないでしょうか?
「マーフィーの法則」ってありますよね。「失敗する余地があるなら、失敗する」「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」みたいなやつです。洗面所にもこれが言えるように思います。
いつだって化粧水はなくなりかけており、安物の乳液はべたついている。肌はどこかしら荒れているし、クマは永遠に消えない。奮発して買った下地の使い心地はよくても、その上にのせるファンデーションは流行おくれ。大体、もうすでに遅刻しているから、顔を整えている時間なんてない……
それでも、なんとかしなくちゃならない。そのへんにあるものをひっ掴んで、間に合わせるしかありません。洗面所はいつも月曜日であり、朝七時であり、〆日直前の月末なのです。このようなバタバタが、スキンケアとメイクの根幹にあるように思います。そういった取り急ぎのメイクが、新たな「いい感じ」を生み出すことだってある。
完璧な洗面所を想像することはできます。私のために調合されたスキンケアが、だだっ広く、シミひとつない洗面台に整然と並んでいます。なんなら、ひとり一台の洗面ボウルがあるような世界。大きな鏡に映っている自分の身体も贅肉ひとつなく……って、書いていて空しくなってきました。そんなところに私の居場所はない。そこは、私の存在を拒絶するでしょう。
完璧な洗面所は、それくらいあの世に近いような場所なのです。そんな彼岸を求めても仕方ない。私たちが生きているのは、理不尽で、野蛮で、とっ散らかった現実でしかない。そのような現実と戦うためにこそ、私たちは顔を彩るのではなかったでしょうか?
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