話してくれたのは…
Matt
1994年7月18日生まれ。7歳でピアノとバイオリンを始める。当時は野球チームにも所属。その後、吹奏楽部に入り、高校ではサックスを担当。大学では英語・サックス・ピアノ・ドラム・作曲を学び、アメリカ留学を経験。音楽活動時のアーティスト名はMatt Rose。
「野球ファースト」の家庭で育って
父親がプロ野球選手だと、その子どもは野球をしなきゃいけないのかな? 今、“自由に生きる”がテーマの僕ですら、子どものころはそんなふうに感じていました。家の中での会話は野球の話が中心でしたし、周りもそんなムードだった。僕は野球をするために、生まれたのかな? なんて、子ども心に思ったりして。
だけど一番近くにいた母は、口には出さなくても僕が野球に関心がないことに誰よりも先に気づいてくれていて……。僕が好きな道で生きていけるように、いつだって応援してくれていました。
野球……、投げるのも打つのも得意でしたが、泥んこになるのが嫌で練習中もダラダラしたり、「バッチコーイ!」みたいな謎の掛け声も嫌でたまらなくて。周りから期待されるのもストレスでした。監督に「あれ、言ったら野球うまくなるんですかね?」なんて、言ったことも。今思うと、なんて生意気な子どもだったんでしょう(笑)。
でもそんなふうに僕が自由気ままに過ごせたのは、母が兄と僕を同じ野球チームには入れずに、誰も僕のことを知らない場所のチームに入れるように手配してくれたからです。
自分を否定せずに、いつも応援してくれた母
小学校のころにバイオリンをやりたいと僕が言ったときも、母は
「なんで?」とか「野球は?」とは言わずに、最初から「じゃあ、や
ってみようか!」と応援してくれて、すぐにバイオリンを一緒に買いに行きました。吹奏楽部で、僕が次々に楽器を変えたときも、決して𠮟ったり、無理強いもしなかった。
そうやっていつも母が僕を否定することなく見守ってくれたからこそ、僕は今、こうして音楽を仕事にすることができています。本当に感謝しかありません。
僕は正直でありたい。誰に対しても、自分に対しても。だけどそれが時には、誤解を生んだり、誰かを怒らせたり、不快にさせることもあって、それをさりげなくフォローしてくれるのは、いつだって母でした。
高校生のころ、学校を辞めようかと思いつめるほど先生と揉めたときも、一方的に「先生に謝りなさい!」なんて言ったりせず、根気よく僕の話を聞いてくれました。
バッシングの中でも折れずにいられたのは
僕がTVに出始めたころ、僕のことを好きじゃないのに近寄ってく
る人も多く、そんな人たちの目は、常に僕の後ろに「桑田真澄」を見ていました。そして、世間からもいろいろ言われたりもして、本当に悔しかったです。だけど、どんなにつらくても、大人だから笑って返さないといけなくて、すごくストレスを感じていたとき、母が「ママはMattのすばらしさをわかっているから大丈夫。自分に自信を持ちなさい」と、よく励ましてくれました。だからこそ折れずにここまで頑張れたんだと思います。
あなたはあなたのままでいい 子どもの自己肯定感を育む桑田家の子育て
桑田真紀・著 講談社刊 1540円
偉大な野球人・桑田真澄さんを父に持ち、生まれながらに周囲からプロ野球選手を目指すことを嘱望されたMattさん。自分の「好き」を貫けたその強さや背景は? 強烈な個性を生み出した桑田家の子育てを母親・桑田真紀さんの目線で語ります。
*第2回は5月5日午前9時公開予定です。
Edited by 中田 優子
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