【前編の記事もチェック】
【大橋未歩】アナウンサーを目指していたはずが、「ときメモ」をひたすらしていた大学時代
私がいなくても会社はちゃんとまわる
――テレビ東京のアナウンサーとして仕事にひたむきに取り組むことで、周囲との温度差を感じることなどはありましたか?
渦中にいるときはあまり意識していませんでしたが、仕事に対する温度が自分よりも低そうに見える人に対して、もっとやる気を出せばいいのに……なんて心のどこかでは思ってしまっていたかもしれません。自分自身を俯瞰で見られるようになったのは、2013年に脳梗塞を発症したあとですね。大学受験、就職、オリンピック取材と夢を叶える成功体験を積み重ねてきて、万能感にも似た勘違いをしてしまっていた部分があると思うんです。でも脳梗塞になったときに、なぜ私はすべてを自分でコントロールできる気になっていたんだろう。いつ倒れるのか、いつ死ぬのか誰にもわからないのに、自分は傲慢だったなってすごく感じたんです。そんな気持ちで療養中にテレビを見たら、今まで自分がいた席に後輩や他の方たちが座ってつつがなく番組が進行している。私がいなくても会社はちゃんとまわるんだという当たり前のことを突きつけられたことで視野が広がって、生きるのが楽になった部分はあるかなと思います。
――でもどんな仕事にも、私がいなければ!という気持ちがあるからこそ頑張れるという側面がありますよね。
麻薬ですよね。そういう風に思うことでやりがいを得たり推進力になったりもするけれども、依存しすぎてしまうとどこかで夢が叶わなくなったときに、迷子になっちゃうと思うんです。それに気づいてからは考え方も生き方もガラッと変わりました。目標を設定して逆算して動くタイプだったのに、準備期間としての今日ではなく、毎日この瞬間を楽しもう、って。倒れる直前までは、大きな特番を任されるとありがたくてうれしいと思うと同時に、任せてくれた方の期待に応えたいと、ものすごいプレッシャーを感じて苦しくなってもいたんです。でも今は他者からそういう風に言われても、その言葉をうまく切り離すことができる。その人のために動かなきゃではなく、自分がやれる範囲のことを精一杯やろうって思えるようになりました。
先のことが想像できなくて楽しそう、が退社した理由
――他人軸ではなく自分軸に変化したのかもしれませんよね。ワークライフバランスの変化もありましたか?
それまでの自分は本当に他人軸で生きていたんだなと思います。仕事とプライベートの割合に関しても、仕事こそわが人生!と思っていたのでプライベートは1割でもいいかなと思っていたんですけれども、今は時期によって割合が違ってもいいのよねと考えています。仕事が3割になったり6割になったり、プライベートと半分ずつくらいになったり……、ゆるっと捉えていますね。時間があるときは私生活の趣味をまた始めてみようかな、とかすごく柔軟になりました。以前は虚栄心で選択していた部分もあったかもしれないけど、今の選択の軸は楽しいか楽しくないか、好きか好きじゃないかだけ。フリーになるときも、会社を辞めた方がこれから先のことが想像できなくて楽しそうだなと思って、所属する事務所を決めることもなく決断しました。
――早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程に進学した理由についても教えてください。
大学院に進学したのは脳梗塞で倒れる前なんです。入社してからすぐに担当していたスポーツニュースや卓球世界選手権の中継などのキャスターを降りて、スケジュールが空いたことが不安になって。大学院に行く動機が本当にピュアなものだったのかどうか、ちょっと疑問に思うところはあります。もちろん大学院で学んだことと脳梗塞で倒れた経験があいまって、パラスポーツを伝えたいという動機にはなっていますが、入学した当時はスケジュールを埋めたいという気持ちが強かったのが正直なところです。テレ東の先輩から「何かを捨てれば自分のなかにスペースができて何かが入ってくるよ」という風に言われたことがあるのですが、以前の私にはその勇気がなかった。やっぱり本当に変わったのは脳梗塞の後なので、今思えば本当にありがたい経験だったと思います。
大橋未歩さんインタビューのつづきは、
<後編:夫や現在のファッション、へアメイク> 5月19日9:00公開
を予定しています。
【前編の記事もチェック】
【大橋未歩】アナウンサーを目指していたはずが、「ときメモ」をひたすらしていた大学時代
大橋未歩
フリーアナウンサー。2002年テレビ東京に入社し、多くのレギュラー番組で活躍。2013年に脳梗塞を発症し、療養期間を経て同年9月復職。18年3月よりフリーに。現在、『5時に夢中!』(TOKYO MX)にアシスタントMCとしてレギュラー出演中。「東京2020パラリンピックの成功とバリアフリー推進に向けた鼎談会」メンバー、パラ応援大使に就任。パラ卓球アンバサダー、防災士としても活動。
撮影/塚田亮平 ヘア/根本秀子 取材・文/細谷美香
Edited by 渕 祐貴
公開日: