“未歩といえばイモパン”でイジられていた
――大橋さんは、神戸にある女子校に通っていた中高時代に“同性からのモテ”を意識していたそうですね。どのような行動をしていたんですか?
女子の間での立ち位置を築くために、三枚目を意識した行動をしていたんです。私服の学校だったので何を着てもよかったんですけど、学校に行ったらまずイモパン(=イモくさいパンツ)と呼ばれる体操服に着替えていました。同窓会に出席しても、「未歩といえばイモパンって定着してたよね」って言われます(笑)。私にとってそういう格好をすることは、会話の糸口でもあったんですよね。「またイモパン着てる〜!」みたいに突っ込んでもらったりして、コミュニケーションのひとつとしてファッションを使っていたという部分はあるかもしれないです。
一一かわいく見られたいという気持ちが芽生える年頃でもありますよね。
そういう面での目覚めが遅かったのか、中3くらいまで眉毛はフサフサでつながっていました(笑)。ませていると思われるのが怖いという気持ちもあったと思います。中高って友達の目線がすごく気になるじゃないですか。文化祭で近隣の男子校の生徒が来たりするときに色目を使っていると思われるのも怖かったですし、とにかくモテからは遠いところにいよう、と。同性だからこその鋭い視線をかわすためには、その方が安全だという自己防衛だったかもしれないですよね。いわゆる女子力が高くて、ヒエラルキーの上の方にいるようなタイプではなかったです。自分からしゃべる方でもなく、イジられて笑って平和主義。モテの土俵には上がっていませんよ、と振る舞うことで身を守っていました。
――その前の小学校時代はどんなキャラクターでしたか?
ランドセルも紺色のものを使っているような男の子っぽいキャラクターで、番長って言われていました(笑)。でも受験勉強をすごく頑張って、私にとってはレベルの高い中学に入ったことで勉強について行けなくなってから、自分に自信が持てなくなってしまって。中高(中高一貫校)時代は自分のことを好きになれないままで影が薄かったですし、人の目線を主体にして動いていたと思います。しゃべることが苦手な自分を変えたくてアナウンサーになりたいと思った部分もあるんですよね。人とのコミュニケーションの基本である話すことを好きになるためには、仕事にしてしまえばいいんじゃないか、と考えて。関西のトークってテンポが速いので、うまく輪に入るのが難しかったりするんです。自分と同じようにトークに入りたいけど入れないんだろうな、みたいな子がいるとすごく気になっていました。アナウンサーって自分が話すだけじゃなくて、司会としてそういう人に話を振る権利もありますよね。自分のコンプレックスを活かすことができる仕事かもしれない、というのもアナウンサーを目指した理由のひとつです。
――バルセロナオリンピックで競泳の岩崎恭子さんの金メダル獲得をリアルタイムでご覧になったことも、アナウンサーを目指すきっかけになったそうですね。
当時、同じ14歳であれだけ喜べることを私は経験してないぞ、オリンピックって一体どんな舞台なんだろう、アナウンサーとして取材してみたいっていう好奇心が湧いたんです。でもアナウンサーになるのは宝くじに当たるようなものだということもわかっていたのでなかなか人に言うことができず、自分のなかで密かに温めていた夢でした。
本当に暗くて、家にこもって「ときめきメモリアル」をやっていた
――大学進学の際は、アナウンサーになる夢はかなり明確になっていたんですか?
そうですね。上智大学がアナウンサーを多く輩出しているイメージがあり、なかでも社会学科や新聞学科がアナウンサーに直結する学部だったのですが、現役のときも浪人のときも落ちてしまって。一浪して法律学科に入学しました。大学生になったからといって、すぐにアナウンサーになれる糸口が見つかるはずもなく、何か悶々としていましたね。ちょっとだけ目標に近づいた感覚になれたのは、2回生(2年生)のときに受けたミスアナウンサーコンテスト(※1999年度のみ開催。その前後年度はミスソフィアコンテストとして開催)でグランプリをもらってから。そのコンテストに出るってことは、私はアナウンサーになりたいんです!って宣言するってことじゃないですか。だからすごく恥ずかしかったんですけど、そうやって退路を断った方がやる気が出るはずだと思って受けたんです。後戻りできない気持ちになれたので、受けてよかったなと思っています。
――大学に入学すると、人間関係も新しくなりますよね。同性からのモテを気にしていた中高時代とは違うキャラクターに生まれ変わったり?
それが、私は何のために学生生活をしているんだろう? みたいなことに悩み始めて、典型的なモラトリアムという感じになってしまったんです。女子大生として大学生活を謳歌することに、あまり喜びを感じられるタイプでもなくて。大学時代は本当に暗くて、家にこもって「ときめきメモリアル」をやっていました。いろいろなことを経験しようとサークル活動やひとり旅などをしてみても心からの達成感というものが得られなくて、気持ちとしてはずっと旅人でした。振り返ってみると、親から経済的に支援してもらっている立場では、本当の達成感や自由を感じることができなかったのかなと思います。
オリンピック取材は上司に直談判!
――社会人になってからの方が自由を感じるようになったんですね。
まさに私の青春が始まったのは、社会人になってからです。今アナウンサー試験を受けたら二度と受かる気がしないのですが(笑)、ご縁があってテレビ東京が拾ってくれて。採用してくれたことへの感謝の気持ちもありましたし、入社してからめちゃくちゃテレビ東京のことが好きになったんです。少ない予算と人員で他局に勝つのがどれだけ痛快かってことをキラキラしながら語る人がたくさんいて。社会人になってあんなに目を輝かせて夢や目標を語るプロデューサーや上司に会えたことは衝撃でしたし、ともに戦う一員になりたいと思いました。好きなことを突き詰めているんだけれど、見せ方や進め方がちょっぴり不器用だったりもする。そういう愛すべき方たちに囲まれて、自分も何でもチャレンジしたいと思いました。テレ東の場合は他局よりもアナウンサーの数が少ないので、入社1年目から大きめの仕事を任せてもらえるありがたい環境でもありました。ある意味ベンチャーみたいな感じで、徹底した現場主義。机上の勉強では培えない経験を積ませてもらって、自信にもなりました。
――入社3年目でオリンピックを取材する夢も叶えています。
初めは行くはずじゃなかったんですけど、図々しく上司に直談判したんです(笑)。昔はそんなことはできないタイプだったのですが、仕事がすごく楽しくて、いつの間にか性格も変わっていたのだと思います。そのポストに見合う人格になろうとしていたのか、ポストが人を作ったのか……、気がついたら活発な性格に改善されていました。
大橋未歩さんインタビューのつづきは、
<中編:テレビ東京のアナウンサー時代> 5月18日9:00公開、
<後編:夫や現在のファッション、へアメイク> 5月19日9:00公開
を予定しています。
大橋未歩
フリーアナウンサー。2002年テレビ東京に入社し、多くのレギュラー番組で活躍。2013年に脳梗塞を発症し、療養期間を経て同年9月復職。18年3月よりフリーに。現在、『5時に夢中!』(TOKYO MX)にアシスタントMCとしてレギュラー出演中。「東京2020パラリンピックの成功とバリアフリー推進に向けた鼎談会」メンバー、パラ応援大使に就任。パラ卓球アンバサダー、防災士としても活動。
撮影/塚田亮平 ヘア/根本秀子 取材・文/細谷美香
Edited by 渕 祐貴
公開日: