板挟みになりやすい「脚本家」という仕事のこと
脚本家をしていると、「好きなものを自由に書けるのは、楽しいでしょう」とよく言われます。その言葉を聞くたびに、「んなわけあるかーーーーい!!」と、私の心のおいでやす小田さんが暴れ出すのです。
脚本家というのは“板挟み”になりやすい職業です。プロデューサーの意見があり、監督の意見があり、俳優の意見があり……。いつも様々な“事情”の狭間でうんうんと唸っている。そんな働き方。そして、締め切り……。容赦なく迫って来る締め切りに追われ、自分のスケジュールもままならぬ!南無!と日々口から魂が出ちゃいそうな日々……。「なんでこんな生き方選んじゃった!?」とやけになって踊っちゃいそう。
ただ、友人や、取材をさせて頂いた方たちの話を聞いていると皆多かれ少なかれ“誰か”の意見に翻弄される“息苦しさ”の中で生きているのだなと感じます。仕事でもそうだし、恋愛でも、結婚でも、子育てでも。今はまさに時代の過渡期。古い価値観をどんどんアップデートしていこう!という流れと今までこれでやって来たんだから今更変えられないよ!という停滞のせめぎ合い。SNSを覗けば、毎日見知らぬ誰かが意見をぶつけ合っておりますし。そういう社会に疲れ果てている人の声が届きます。そして、私も感じています。とにかく現代を生きるのって、疲れる!! かといって、生物としての根本に立ち返り、プラグスーツで田植えする生き方もそう簡単に選べない。
『カラフラブル』の反応から分かる、社会を「変えたい」という空気
私の心のツッコミ役・おいでやす小田さんも出演されている(概念ではなく、本物の小田さんが役者として出ています。当たり前か)、ドラマ『カラフラブル』はそういう気づかないうちに何かに縛られている人たちが自由になっていく姿を描いた群像劇です。「こういう風になったらいいな」という希望を描いた物語ですね。ジェンダーレスにファッションを楽しむ主人公や、日々をホルモンバランスに左右される女性が働くということ。男らしさを求められる男性のしんどさ。オンエアする前はこういう話を書いてどういう反応が返って来るか恐ろしかった。どうしても燃えやすいテーマですから。けれど、蓋を開けるとその点に関しては皆さん好意的に受け取って下さっていて安心したと同時に少しずつこの生きづらい社会も変わりつつあるんだな、と感じました。というか、変えたいと感じている人が増えているのだと。
「面倒くさい人」と思われたっていい
以前、出口治明さん(現立命館アジア太平洋大学学長。当時はライフネット生命保険株式会社の会長さんでした)と、対談させていただいた時に脚本家を続けるよりも、もっと社会に貢献できる仕事。ボランティアや、困っている人を助けられる活動にシフトしたいと相談したら、出口さんから言われたのはこの生きづらい世の中を変えるために、声を上げ、旗を振る。それを物語として描き届けることが出来る機会を得ているのは、貴重な事なのでやめない方が良いという言葉。苦しんでいる人から目をそらして、無かったことにしてしまえば確かに“今”の社会は回っていくので、声をあげる人は“面倒くさい人”とみなされがちなのだけど。
でも、“面倒くさい人”と思われたっていいじゃない。「やってみなはれ」と背中を押してくれた言葉は今でも私の中で何かを創作する時の“軸”になっています。
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自分の「軸」を持つと安定感が変わる
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