一度の号泣で人生がすっかり変わってしまった人
何が何でもヤメない兵庫県知事が会見中に泣いた。その理由を聞かれたとき、知事のパワハラを告発した男性が亡くなったことについて泣いているのですか?という質問に対し、いえそうではなくて……とばかりに淡々と別の理由を述べたことが、世間を驚愕させた。徹頭徹尾、自分のためにしか感情が動かない人なのだと誰もが恐怖した。「自分のためにしか泣けない人間って、ある意味怖い」と。
断るまでもないけれど、泣くこと自体がいけないのではまったくない。でも時と場所と理由と、それらが実は非常に厳しく問われる感情表現であるのを改めて思い知らされた。間違った泣き方をしてしまうと、人生が変わってしまうほどに。
今頃蒸し返して申し訳ないけれど、ある地方局のニュースで、天気予報を伝えていた気象予報士の女性が、各地域の気温を読み上げているうちにどんどん涙声になり、やがては号泣して数分間中断、という出来事があった。翌日から約1週間の休養を経て復帰するも、結局番組の降板を余儀なくされる。それ以上にこの出来事が大きく報道されて「号泣お天気お姉さん」として有名になってしまう。
そもそもなぜ泣いたのか? その真相は未だ謎のまま。予定とは違う映像が流れたからパニクったという説明もあったが、それ自体には素早く対応していたから、そうではなくて、むしろパワハラやいじめがあったのではないかとの疑念も生まれた。
確かに人間は、度重なるストレスを溜め込むと、ちょっとしたきっかけで、まるで川が決壊するように堪えきれずに泣き出してしまうことがある。
実際こんなことってないだろうか?
仕事でもプライベートでも辛いことが重なったような時、どこかで転びそうになっただけで、ケガしたわけでもないのに泣けてきて、涙が止まらなくなってしまうこと。
こうした涙は、心身からのSOS。交感神経が過度に刺激されたことで、自ずと副交感神経を活性化させなければならないと体が反応し、その結果涙があふれ出る。それは私たちが自らの体のバランスをとっている生理現象に他ならないのだ。涙が出ることで緊張が緩和され、ストレス物質が体外に排出されていくわけで、涙は決して悪くない。自分を救うための潤いだと考えてもいいくらい。ただ、人前で泣いてしまうと、思いもよらない事態になり、他者に思わぬ迷惑をかけることもあるからこそ危険な物質なのである。
事実この気象予報士は、たった一度の号泣で人生が一変した。何かとんでもないミスを犯しても、ここまで人生は変わらないだろう。感情の起伏の一部にすぎないのに、公共の場で一度でも泣いてしまうと、人間性に固定のイメージがついてしまい、そのレッテルはなかなか剝がれない。その人の人生に与える影響力はとてつもないものがあるのだ。
その後は芸能界への可能性を模索し、グラビアや芸人修業などにも挑んだというが、その逞しさ、泣いてしまったこととは一見結びつかないけれども、実は人前で泣くのもある種のエネルギーと大胆さが必要で、だからその後の生き方と大きな矛盾はない。どちらにせよ社会的な制裁を受けたことは確か。ただ泣いただけで?と気の毒な気もするが、泣くことってそのくらい重いのだと知っておくべきだ。
もはやどんな場面で泣いても“野望のための涙”にしか見えない
あなたはよく泣く人だろうか? そして、どんな時に泣く人だろうか? 改めて見直してみてほしい。自分のためだけによく泣く人は、ちょっと注意が必要。
今も忘れられないシーンがある。いわゆるチャリティー番組で、ハンディキャップのある人のさまざまなドラマを見せられることで、出演者のほとんどが涙する中、MCの一人である女優が毅然としたまま、涙も見せずにいた。この人はよくよく泣かない人なんだと誰もが思ったはずだが、番組が終わった後、よく頑張ったねと労(ねぎら)われた途端、大号泣したらしい。
それは当時、立派に役割を果たしたとして評価する声もあったものの、違和感を覚えた人もいたはずなのだ。それからずいぶん時間が経って、その人が不倫問題で大きなスキャンダルを巻き起こし、その対応等が批判を受け、休業状態になっているのを見た時、ふとその話を思い出してしまった。やはり自分のためにだけ泣く人だったのではないかと。
もちろん、仕事中は泣かないよう堪えていたのかもしれない。大きな重圧から解放された瞬間、感極まったのかもしれない。とはいえそこで、“人の痛みに対しては涙が出ないタイプ”と思わせてしまう気配を放ったのは確かなのだ。
まったく別の意味で、“自分のためだけ”どころか、“自分の野望のため”にこそ泣ける体質が一時期異例の注目を集めてしまったのが、メーガン妃。英国王室を離脱し、アメリカへと脱出。トーク番組で、王室から差別を受け、マスコミの誹謗中傷にも自分を守ってくれなかったと訴え、涙した。「もう生きていたくなかった」と、自殺願望があったことも口にしながら。
そして、以前から報道されていたキャサリン妃との軋轢の真相についても、実際は自分がキャサリン妃を泣かせたのではなく、その逆。自分がキャサリン妃に泣かされたのだと語ったのだ。でもそれ、本当かもしれない。こういう一対一の諍いにおいては、先に泣いたほうが勝ち。結果として“泣かせてしまった側”の方が分が悪く、謝るしかなくなるからだ。
それも世間から見た時、キャサリン妃が泣いた場合は、メーガン妃に泣かされたのだと思うが、メーガン妃が泣いた場合は、直情の涙か、自らを被害者に見せる涙だろう、とついつい思ってしまう。つまり、涙の意味は、その人の人となりで違った見え方をするのだ。ちなみにメーガン妃がエリザベス女王の葬儀で涙した時も、空泣きでは?との記事をいくつも見つけた。
辛口の英大衆紙のコラムニストがそんなメーガン妃の涙を「ワニの涙」と称したほど。それは獲物を食べる時に涙を流すというワニの習性から、偽善的だったり、異性を誘惑する際の戦略的な涙を意味するのだ。またメーガン妃は、自作のドキュメンタリーでも泣く姿をたっぷり見せている。ヘンリー王子にすがるような、とても弱々しい姿を。しかしこれもまた被害妄想的な涙と世間は揶揄した。
「女の涙は武器」という言葉があるが、これは今の時代もう通用しない。武器になるからこそ、不用意に使ってはいけない、それが現代社会のマナーとなった。自分が悲しむ姿を人に見せると、本当の悲しみは伝わらない。どうしても、被害者意識や悔しさに見えてしまうのだ。そうそう、とりわけ仕事場では泣いてはいけないのも、たとえ自分が情けなくて泣いたのであっても、やっぱり被害者アピールか悔し涙に見えてしまうから。そしてまた男女複数いるコミュニティーの中で一人だけ泣き出すと、それこそ「ワニの涙」になってしまうから。
かくして大人になったら、意識して、もう自分のための涙は流さないこと。もちろん一人で泣くのはあり。溜まったストレスが体外に排出できるから。でもできるなら、喜びの涙や感動の涙、そして他人のための涙を流そう。そう心がけるだけで、人生はとても美しいものになる。不思議だけれど、幸せな人は、自分のためには泣かない。そして人より感動の涙が多い。それだけは確か。だから逆に、自分がいつどんな時に誰のために泣いたかを振り返って、自分はどんな女なのか、どんな人生になるのか、占ってみてはどうだろう。泣き方には、人間のすべてが露呈するのである。
撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳
Edited by VOCE編集部
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