連載 齋藤薫の美容自身stage2

“上手に歳をとれる人”と“上手に歳をとれない人”の運命

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“上手に歳をとれる人”と“上手に歳をとれない人”の運命

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。今月のテーマは「“上手に歳をとれる人”と“上手に歳をとれない人”の運命」。

GACKTとキムタクは、上手に歳をとれない人?

たとえば、GACKTとキムタクはほぼ同年代、GACKTが7月でキムタクと同じ51歳になる。この2人が51歳? 各々別の意味でどちらも大きな違和感があるが、今回のテーマである“上手に歳をとれる人”と“上手に歳をとれない人”……そこに当てはめると、やっぱりどちらも“上手じゃないタイプ”になってしまうのだろう。

そもそもGACKTはドラキュラばりの年齢不詳が身上で、実際に長年、実年齢を明かさず、“1540年生まれ”とのプロフィールも存在し、それも本当かもしれないような雰囲気すら醸し出してきた。

一方のキムタクはやはり長い間“男性アイドルの象徴的存在”であり続けてきたために、中年の俳優として認識される機会を失う形で今に至っている。

この2人を見る限り、別に上手に歳をとれなくっても構わないじゃない?と思いもするが、あくまで一般論として、一体何がまずいのかを、申し訳ないけれど彼らの場合を通じて考えてみたのだ。

奇しくもTBSの安住紳一郎アナも今年51歳。ギリギリのところで結婚して、なーんだ、安住さんも普通のオトコだったのねという、落胆とも安心感ともつかぬ感慨を生みながら、不思議に中年に見えるリスクも回避、計算尽くかと思うほど巧みに歳を重ねている。理想の上司にも選ばれるが、果たして社会人として成功したから歳のとり方も上手なのか? 決してそういうことではないはずなのだ。

逆に上司にいたら戸惑うものの、ふとそれって意外に面白いかもと思わせるのが、GACKTという人だったりする。何だかんだ、あることないこと噂話が絶えないのも事実だが、近年ジャンルを問わず極めて博識であることで一定の尊敬を集め、彼の音楽を知らない人の間でも好感度を高めている。キザも気取りも気負いも、また俺様発言も、あそこまで振り切ってくれれば、いっそ清々しく可愛らしくもある。

昔から、年齢における大きな分かれ道は35歳と言われてきた。つまりきちんと大人になれる人は35歳あたりで何かを心するというのだが、その法則に則れば、この人は36歳の時に実年齢を公表。隠していたわけじゃないと言いつつも、何らかの覚悟を持ったことがうかがえる。

26歳から米を食べていないことも有名だが、それはバンドの一員からソロになって、サポートメンバーの生活を全部背負わなきゃいけないから、今までのような生き方ではダメだと米を断ち、一日一食にしたという。わかるようなわからないような。聞けば自分にとって食事はもっとも大事だからこそ、大切なものを断ったのだという論旨。折に触れ、覚悟と責任を自覚する人である。

自身のXではさまざまな発言をしていて、日本の政治と経済も憂慮、“日本の個人GDPは世界34位で、来年には韓国に抜かれる。どんどん上がる税金に、30年上がらない給料。経済成長の時代ならともかく、今はどう生きるかってことを本気で考えないと人生やばい”的な指摘。“政治に何も期待していないから、変える気もないってどうなのか?”とも訴える。

普通、こういう発言をすると「芸能人だけしてれば?」的な批判が集まり炎上するところ、彼が言うと世間は黙り、なぜか引き締まる。本人も何をしでかすかわからない危うさを放ちながら、何か一本筋の通った正義感も漂わせる不思議な人。威丈高なポーズも手伝って、とてつもなく大人に思えたりもする。上手に歳をとれていないようで、実は一年で10歳分くらいの年輪を重ねている重厚さもあったりするのだ。

一方のキムタクは、今まで非の打ちどころのないキャリアの重ね方をしてきたこと、何事も1番でなければいけないというプレッシャー、そして常に超絶カッコよく美しいキムタクじゃないとまずいこと……そのことごとくが上手に歳をとるのを難しくさせている。正直気の毒でならないほどに。

ただ同じように上手に歳をとれなさそうと言われながら、ある意味で天才的な歳のとり方をした人もいる。あんなに元気で明朗快活、しかもキュートな68歳は後にも先にも世界のどこにもいないというほどの人、郷ひろみ。上手か下手かではなく、あんな歳のとり方もあるのだと教えられた。本来は異様に若く見えることと、上手に歳をとることとは、根本的に意味が違い、若さにしがみつくのは明らかに歳のとり方が間違っていると考えるべき。でも“高須クリニック”に続き“にしたんクリニック”のCMもキラキラこなすアッケラカンとした若さは、もうその域を超えていて、いっそ歳をとるほど好感度を上げているほど。

そこで思うのは、好感度が高まれば、皆に愛される歳のとり方をすればそれでOKなのだということ。竹野内豊なども笑いをとれるイケオジになっていて、どんどん好感度を上げているが、安住さんも同じ、歳を重ねてなお人を癒やせるがゆえの成功なのだ。逆に言えば歳をとるほど不機嫌な顔になるのは最悪の形。いや、人間のサガとしてそうなりがちだからこそ、ネガティブが増え、支持を失っていく歳のとり方だけは避けたいのだ。

MEGUMIは美容上の、上手な歳のとり方を教えてくれる人

そうだから一方に、安室奈美恵のように姿を消す歳のとり方もある。そもそも歌姫は歳のとり方が難しく、マドンナやブリトニー・スピアーズのように、極端な方に振れていくしかない仕事。もちろん浜崎あゆみのように頑張るケースもあるが、きっぱりと辞める選択もディーバの場合はありなのだろう。それも安室奈美恵のセンスのすごさの一つだったのかもしれない。

おそらくあの人は、いくつになろうと素敵に歳を重ねるのだろう。それを見られないのは、なんとも残念だけれど、それも含めてこの人のバランス感覚なのだと思うとあっぱれと言うしかない。そう、上手に歳を重ねるには無類のセンスのよさというものが重要なのである。さらに言えば、客観性。自分がどう見えているのかを無意識に読み取り、時代もニーズも読み取る視力を持つことなのだ。要は人間的センスの問題。

ここまで見てくると、上手に歳をとるって本当に難しい。もちろん一般人の場合はまた話が違ってくるが、あくまで共通するのは、歳をとるほどに尊敬されるか愛されるか、はたまた人を癒やして安心させるか、どれかはクリアしないと。どれも得られぬ歳のとり方は、やはり何かが間違っている。歳をとるほど孤独になり孤立していくのは、どんな世界だろうと一番哀しいことだから。

女性の場合はビジュアル要素が多すぎて、上手下手が見分けにくいが、石田ゆり子、天海祐希といった異様に好感度の高い50代は、まさしく美しく歳を重ねた典型的な例なのだろう。ちなみにいくら若く見えても、頭の中が美容だけというのは大人として上手な歳のとり方ではない。そういう意味で、MEGUMIのように多くのキャリアを積む過程で“劣化”と揶揄された意趣返しで美容に邁進した人の、視野の広さとエネルギーには多くの世代が共感を覚えるのだろう。“美容【姉】”として下の世代を勇気づける新しい存在は、これまでにない年齢の重ね方を教えてくれる。

これからどんどん大人人口が増えていく時代、もはや半数以上が50代以上になる国だ。そんな中で、上手に歳をとれない大人が増えると、それだけで日本はまずい。間違いなく人間関係が悪くなり、健全な社会がつくれない。だからGACKTのようにドラキュラのような歳のとり方でもいい、尻上がりに、裾広がりに面白く、魅力を増していく大人になるべく心がけよう、一人一人が。

そう考えると、不思議に歳をとるのが怖くなくなる。上手に歳をとると、人生はとんでもなく輝くのだということに早く気づくべきである。

歳をとるほどに尊敬されるか愛されるか、はたまた人を癒やすかが、上手に歳をとる絶対条件。逆に、歳をとるほど不機嫌になるのは、最悪の歳のとり方だ。歳をとるほど孤立していくのは、どんな世界だろうと一番哀しいことだから。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

Edited by 加茂 日咲子

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