令和ロマン
慶應義塾大学のお笑いサークルに所属していた東京都出身の髙比良くるま(左・29歳)と、神奈川県出身の松井ケムリ(右・30歳)が2018年に結成。2023年に「M-1グランプリ」優勝。
ビューティジャーナリスト
齋藤薫さん
非・美容男子としてのNEWビューティアイコン、誕生。【令和ロマン】
M―1王者の令和ロマンがVOCEの表紙に初登場。メンズ美容とマイペースに向き合うくるまさんと無頓着なケムリさん。“みんなちがってみんないい”、今の時代のリアルを映し出すコンビの在り方とは。
【特別寄稿】齋藤薫さん/ビューティージャーナリスト
令和ロマンの美容と、劇的変化が気づかせてくれた、恐ろしく重要なこと
M-1優勝で、一気に露出が増えた“令和ロマン”の勇姿を見ていて、実は改めてこう思った。今までこの種の色気を放つ芸人って、いただろうかと。とりわけ、ボケ担当“髙比良くるま”さん! 申し訳ないけれど、イケメン芸人枠には入らない。しかしそれは明らかに、色気と呼べるもの。その“どぎついボケ”がつくる毒気のようなものが男の色っぽさにつながり、ハリとツヤのある肌も相まって、異端も香る強烈な存在感を生んでいる。
芸風的にも、玄人好みと言っていい天性のセンスを感じる彼らは、慶應義塾大学出身というプロフィールをひもとくまでもなく、とても知的。そう、知的だからこそイヤらしくはなく、だからちょっとキュンとするほど。
ところが、だ。この人たちの1年前の動画を見て、ギョッとした。たった1年前なのにまるで別人。芸人としての旨味を出す敢えての演出に違いないが、端的に言って“うらぶれ感”さえ漂う鈍くささは、色気とは程遠い。M-1優勝を果たした令和ロマンは、運動神経の良さが目にも鮮やかだったが、1年前にはその気配がなく、“くるま”さんのむっちりした太ももと内股が妙に印象的だったりした。
この1年の間に一体何が起こったのか。言うまでもなくそれが、VOCEと吉本興業のコラボ企画『ウレアカ?~売れたら垢抜けるってホント?』プロジェクトだったわけだが、正直こういう種類の効果が見られるとは思っていなかった。男も磨けばキレイになる。売り出し中の芸人だって、磨けばアカ抜ける。そりゃあそうだろうと思っていた。
でも、なるほどそういうことだったのか!と、改めて大きな発見をした気になった。言うならば、美容というものにおける1つの本質を見せられた気がしたのだ。
女性は美容を日々ミクロに追求していて、マクロで捉えないから、ついつい美容の本質を見逃してしまう。美しくなること、若返ることばかりを追い求め、もう一つの重要な役割に気づかずにいる。じつはそれが、色気が湧き立つことなのだ。
これまでの美容男子も、もともと美しいからもっと美しくという、ナルシスト的なベクトルばかり際立ち、もう一つの美容の本質を見せてくれない。それに初めて気づかせてくれたのが、令和ロマンであり、美容に没入した“くるま”さんであり、美容をあえてお笑い芸人たちに託した今回のウレアカ企画だったのだ。ナルシシズムに傾かずに男がキレイになる意義を浮き彫りにしてくれたのだから。
ただ本質が見えてないのは、“現代美容”だけかもしれない。どういうことかと言えば、日本の歴史上、男が化粧をしなかったのは、明治維新から現在までの百数十年に過ぎず、じつはほとんどの時代で、男も化粧をしていた。特に平安時代、宮廷文化に憧れる武士たちは白塗りにお歯黒。頬や唇に紅を差す者もいた。公家のような柔和で洗練された美しさを纏うのが“粋”とされたからに他ならないが、一方で戦いで敵に首を取られても見苦しく情けなくないようにという、身だしなみの一種であるともされた。そして何より権威の象徴。男の化粧は男から見ても、男性的な魅力を生むものだったのだ。
そもそもマインドとしての“男色”が当たり前だった時代、敵ながら美しい武士に心乱される瞬間などもあったようで、平家物語の有名な一節は、平敦盛の首を掻き切らんとした源氏側の熊谷直実が、そのうら若く美しい姿に心を傷めた様子が描かれている。逆に持ち帰った敵の首にあえて化粧をする者もいたのは、大物を討ち取ったことを誇示するため。それは化粧が地位やプライド、教養の高さを示すものであったことの証。もっと言えば、女性のような弱さではなく、逆に強さや威厳を示すものだったと考えても良いはずだ。
いずれにせよ昔の男の化粧は、美しくなるためという単純なものではなかったのがよくわかる。現代美容にはない「風流」という日本だけの美意識を宿し、情緒的にも洗練され、洒落者としてのアーティスティックな趣深さを示してる。言い換えれば人間の色気を引き出すための流儀。英語におけるセクシーが性的魅力のみならず、人間的な奥行きも意味するように、明治維新までの長い時代、男の化粧は、異性にも同性にもアピールする人としての艶めかしさを宿す大切な手段であったのだ。
“ダイバーシティー”が注目され、コロナ禍に、リモート会議で否応なしに自分の顔を見せられたことで、男の美容は一気に裾野が広がってきたけれど、ざっくり「男もキレイになるべき」というぼんやりした提言に、「清潔感を保ち、好感度を高めるもの」という定義を超えることはできていない。若い層にもうまったく抵抗はなくても、40代以降にとってはまだハードルが高い。でももし男の美容が、じつは人間としての奥行きや魅力を醸成していくものだとしたらどうだろう。それならばという人が、増えてくるのではないだろうか。
もう一つ注目すべきは、意外なことに欧米で男が化粧した時代は18世紀のロココ時代の貴族社会に限られること。不倫と舞踏会に明け暮れた彼らにとっては、豪奢を競う装飾に過ぎなかったと言ってよく、フランス革命などの市民運動とともに衰退。少なくとも戦士が化粧したのは日本だけだろう。
でも一体なぜ? これは仮説に過ぎないが、日本人は不安を抑えるメラトニンの分泌量が少ないと言われ、日本人がコロナ前からマスク好きだったことにも通じるが、男の化粧はそうした不安を覆い隠すマスクの役割も担っていたのではないか。裏を返せば、男の化粧は気高き者として勇気を纏わせてくれる鎧にも等しいもの。令和ロマンも1年前に比べて何だか凛々しく気高く見えた。化粧感は無いものの、あの手この手で美容を施した“くるま”さんは、自信や逞しさも加わったからこそ色っぽくうつったのだろう。それは同性にもアピールするもの。お笑いにはそうした磁力を持つこと、極めて重要だ。そう、男にもモテる男をつくるのが美容であることを、彼は教えてくれたのだ。
ちなみに積極的に美しくなることを望んだ“くるま”さんに対し、“ケムリ”さんは本来美容に関心がない真逆のスタンスで、1年間の変化はほとんど見られない。ただそれもまた美容の凄みを物語り、美容など不要と言う強気も一方の男女の共感を呼ぶ。つまりするもしないも自由。ただ、今の時代、「面倒くさい」ということを除けば男の美容に何のネガティブもないことだけは知っておきたい。
10年以上前だったか? 当時は私自身、男の美容は気色悪い、そもそもキレイに見せたいというそのマインドが男として姑息だくらいに思っていたが、ある日突然、意識が変わった。それは電車で前に座っている細マッチョでお洒落なイケメンが、いわゆるグラディエーターサンダルから覗く足の爪にガンメタのペディキュアをしているのを目にした時。素直にカッコイイ、セクシーだと思えたから。単純にセンスを感じ、知性も感じたから。サンダルからはみ出す指の爪が汚かったら見苦しいという意識が彼にペディキュアを塗らせたのだろう。その感性に惚れたのだ。それからは、センスと知性が感じられれば、男の美容は全然あり、そう思えるようになっていた。そして今や、男を凛々しくてセクシーに見せる男の美容は最高! もっとやってもっとやって! そう思えるようになっている。
撮影/渡辺宏樹(TRON) ヘアメイク/KATO(TRON) スタイリング/井田正明 取材・文/金子優子
Edited by 佐藤 水梨
公開日:
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