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【西川貴教】個人事業主はツライよ!?30年の歌手人生と滋賀県愛

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【西川貴教】個人事業主はツライよ!?30年の歌手人生と滋賀県愛

みんなのアニキ、西川貴教さんインタビュー第二弾! 30年近くにも及ぶ彼の歌手人生、実は順風満帆ではありませんでした。今回はその知られざる苦労話と、未来の知事との呼び声が高い!?彼の滋賀県愛と10年以上続くイナズマロックフェス、そして、リリースされたばかりの新曲について聞いてみました。

西川貴教さん

1970年9月19日生まれ。滋賀県出身。バンド活動などを経て、1996年ソロプロジェクト『T.M.Revolution』をスタート。抜群の歌唱力と芸人顔負けのトーク力で一躍人気者に。またミリオンセラーとなった『WHITE BREATH』をはじめ、ヒットも連発! 現在も、ソロアーティスト西川貴教として精力的に活動している。地元・滋賀愛が強く、2008年には観光大使に就任。2009年より、滋賀県にて『イナズマロックフェス』を開催。最近では、官民一体となったイベントを開催するなど、地方創生のための活動も精力的に行なっている。

「来年消えてる人」になるかと思いきや、あと数年で歌手活動30周年!

――30年近く前のヒット曲が、某ファーストフードのCMに使われたり、70万枚を超えるヒットとなった『HOT LIMIT』の奇抜な衣装とPVは今でも語り継がれて伝説となっていたり、若いアーティストが彼を目標、憧れとして掲げていたり。そんなT.M.Revolution 西川さんのお名前と歌声を知らない人は、今でも日本にはいないと言っても過言ではないほど。

西川貴教さん

西川さん「いやいや。そんなことはありませんて! もう30年近く前の話ですし。そもそもね、僕が音楽の道を志して上京しようとしたときなんて、地元では『音楽で食っていくなんて、夢みたいなこと言うな』って感じだったんですよ。周りも堅いお仕事の方ばっかりだったし、みんな呆れてた。ただ母がね、信じてくれて『あなたがやりたいなら頑張りなさい』って送り出してくれたから、この道を進んでこられたわけなんですけど。それでもやっぱり、TVにちょくちょく呼ばれるようになってからも、来年は自分なんて、表舞台から消えてるんだろうな〜なんてずっと思っていましたから」

――それは意外! ずっと精力的に活動しているイメージがあります。2022年から2023年にかけての47都道府県ツアー(!)を成功させたり、夏フェスなどにも出演されてましたよね。

西川さん「この30年、長期の休みをとったこともないですし、最近はアーティスト活動以外もめちゃくちゃ精力的にやっているからかな? 常に新しいことをしようとしているので、マネージャー含め、苦労させちゃってるなあとも思ってます。でも次から次へとやりたいことのアイデアが浮かんじゃうんですよ。これまでいろいろなことをやってきて、30代、40代から一緒に仕事してきた同年代の人たちが、どんどん偉くなるなどして人脈もかなり充実してきました。だからアイデアが、けっこうな確率で実現しちゃうんですよね。まあ、大変といえば大変なのですが。今年もまだ具体的には決まっていない行政との取り組みに関して、スケジュールがびっちり押さえられています」

独立して個人事業主に。メディアに出なくなった時期も

西川貴教さん

――芸能界どころか、財界、政界にもつながりを持つ西川さん。しかし、30代は苦労の連続だったそう。

西川さん「今から23年前、30歳を機に個人事務所を立ち上げたんです。SNSなど、さまざまな発信手段や自己表現の手段がある今でこそ、フリーで活動するアーティストの方は増えましたが、当時はそんな人、周りにも全くいなかったんです。YouTubeなんかもなかったから、楽曲を発表する場もTVやラジオといったメディアやライブ、CDとかしかなかったんです」

――そんな状態での独立、怖くなかったんですか?

西川さん「いやもう、怖さしかなかったですよ。いつダメになるかわからない恐怖もあったし、大きな事務所という後ろ盾がなくなった途端、離れていく人もいました。変な話、貶めようとする人もいたりして、メディアに全く出られない時期もあったんです。さらに会社の人間、身近なスタッフとの距離感に悩んだ時期もありました。僕はアーティストであり、会社の代表でもあるので、意見がぶつかったときは、これは会社の代表としての通すべき冷静な意見なのか、それともアーティストのワガママなのか。その線引きもなかなかに難しくて。だけど今思えば、20代のころ、あれよあれよという間にTVでおなじみになって、30代で一回辛酸をなめたことは、無駄じゃなかったなと思うんです。天狗にならずにすんだし、何より人の本質だったり、本当に大切なことがわかるようになったから。人生に無駄なことなんて、ひとつもないんですね。もちろん当時は、どうしてこんな目に!?って毎日思っていましたよ。でも今は、その辛い思いすら、尊い体験だったとわかるんです

――それほどまでに大変な経験をされても、もう辞めよう、音楽から離れようと思わなかったのはなぜ?

西川さん「もちろん“好き”という強い気持ちがあるのが大前提ですが、何よりそんな僕を信じて、応援し続けてくれる方たちがいたから。ファンやスタッフ、音楽関係の人たち。その人たちの愛に応え続けることが、僕の人生のテーマでもある」

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西川貴教の滋賀県愛

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