連載 黒柳徹子 私が出会った美しい人

【黒柳徹子】夫の帰りを待ちながら、女手一つで3人の子どもを育てた母、黒柳朝

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【黒柳徹子】夫の帰りを待ちながら、女手一つで3人の子どもを育てた母、黒柳朝

黒柳徹子さんが「夫の帰りを待ちながら、女手一つで3人の子どもを育てた母の逞しさに、あらためて気づくことになった」と語る母、黒柳朝さんについて、今回はお話しします。

黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第19回】黒柳徹子氏母 黒柳朝さん

落ちこぼれ、問題児、はみ出しっ子……。みなさんは、子どものときの自分を振り返って、「あぁ、私もそういう時期はあったのかもしれない」とか、「お友達にそういう子がいたなぁ」なんて、思うことはありますか? 今から42年前に出版された『窓ぎわのトットちゃん』では、私が、まさに“落ちこぼれのはみ出しっ子”だった時代に、素晴らしい先生やいろんな個性を持ったお友達との出会いによって「みんなで一緒にやる」ことの大切さに目覚めていく。その過程を書いています。

読んでくださった方はご存じかと思いますが、最初に通った小学校で、私は、天板部分がパタパタと開閉式になった机が気に入って、そのフタを百ぺんぐらい、開けたり閉めたりして、先生を困らせていました。それを注意されると、今度は窓のところに立って、チンドン屋さんを呼び込んで、「一曲、やってみて」とリクエストなんかしちゃって……。自分が面白いと思うものを見つけたら、授業なんかそっちのけで、すぐ夢中になってしまう。先生はさぞかし大変だっただろうと思います。挙げ句、「おたくのお嬢さんがいると、クラス中の迷惑になります。よその学校へお連れください!」と言われてしまったことが、私が、「トモエ学園」という学校に転入するきっかけになりました。

子どものときの私は、自分がなぜ小学校を転校することになったのか、その理由についてはまったく知りませんでした。「最初の小学校を退学になった」と、母が私に教えてくれたのは、私が20歳を過ぎてからです。日常のなんてことない会話の中で、「あのとき、どうして小学校が変わったか、知ってる?」と聞かれて、私が「ううん」と答えると、軽い感じで、「本当は退学になったのよ」と教えてくれたのです。もしあの小学校1年生のとき、先生から「よその学校へお連れください!」と言われて、母が私に「退学になっちゃって、どうするの!」とか、「次の学校に行って、もしまた退学にでもなったら、もう行くところがないですよ!」みたいに、キツい言葉で私を責めていたら、私はきっと「いい子にしなきゃ」と萎縮してしまって、トモエ学園を最初に訪れたときに目に飛び込んできたキラキラとした景色も、きっと、色褪せていたことでしょう。

今年の12月にこの『窓ぎわのトットちゃん』がアニメーション映画になり、全国で公開されます。また、ついこの間、10月の3日には、トットちゃんのその後を書いた『続窓ぎわのトットちゃん』が出版されました。『窓ぎわのトットちゃん』は、疎開列車の中で「君は、本当は、いい子なんだよ」と言ってくれたトモエ学園の小林校長先生の言葉を思い出している場面で終わっています。私が、『続窓ぎわのトットちゃん』を書きたいと思ったきっかけは、「今まで、大人になったトットちゃんの、いろんなエピソードを書いてきたけれど、疎開先での出来事は、あんまりちゃんと書いていなかったなぁ」と思ったからでした。

でもいざ書いてみると、戦争が始まる前の日本の様子も書いておきたくなって、それから、疎開先から戻って、香蘭女学校に通っていた日々のことも、いろいろ思い出してきました。そうしたら今度は、シベリアに行った夫の帰りを待ちながら、女手一つで3人の子どもを育てた母の逞しさに、あらためて気づくことになったのです。

『窓ぎわのトットちゃん』の中にも、母はたびたび登場します。この本が出版されてから、「トモエ学園」の教育が話題になると同時に、お転婆で落ち着きがなくて、放っておいたら何をしでかすかわからない娘を、大らかな態度で受け入れる母の子育てにも、注目が集まりました。母のもとに、「エッセイを書いてみませんか?」という申し出があり、母は、71歳(!)でエッセイストとしてデビューするのです。95歳で亡くなるまで、100冊近い本を出版したみたい。

私もそうかもしれないけど、長生きする人って、気が若いですよね。母が言ったことで今も記憶に残っているのは、大人っぽくて「いいこと言ってたな」っていう発言より、「子どもみたいで面白いな〜」ってものばかり。父が亡くなったときは、「いつも『ママきれい』って言ってくれたパパがいなくなったら、私なんかただのおばあちゃんじゃない! 亡くなるのがもっと早かったら、私だって次のチャンスがあったのに!」なんて怒っていました(笑)。

黒柳朝さん

黒柳徹子氏母

黒柳朝(くろやなぎ ちょう)さん

1910年北海道生まれ。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)在学中に、新交響楽団(NHK交響楽団の前身)の首席ヴァイオリニストだった黒柳守綱と出会い、結婚。1982年、自伝的エッセイ『チョッちゃんが行くわよ』で、エッセイストデビュー。同作はベストセラーとなり、『バァバよ大志をいだけ』など、2006年に95歳で亡くなるまでに100冊近い著書を出版。北米で、在留邦人に向けた講演旅行、教会へのボランティアなども積極的に行った。『チョッちゃんが行くわよ』は、1987年に『チョッちゃん』というタイトルで、NHKの連続テレビ小説でドラマ化された。

続 窓ぎわのトットちゃん/1650円 講談社
続 窓ぎわのトットちゃん/1650円 講談社

─ 今月の審美言 ─

(「トットちゃん」の続編を書いて)「夫の帰りを待ちながら、女手一つで3人の子どもを育てた母の逞しさに、あらためて気づくことになったのです」

取材・文/菊地陽子 Photo by Heritage Images

Edited by 新井 美穂子

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