◆つい邪な目で… 「性的」な消費
性別にかかわらず、多くの人にとって性欲は切っても切り離せないもの。推しを邪な目で見ることも、褒められたことではないかもしれませんが、容易に避けられるものでもありません。
たとえば、弊推しは若い頃に温泉めぐりのお仕事を受けておりまして。今でもその内容はYouTubeで公開されているのですが、最近のYouTubeはやたら性能が向上し、「リプレイ回数が最も多い部分」が表示されるという、とんだお節介機能が搭載されているんですね。で、確認したらどの動画も全部推しが裸で温泉に入ってる場面が最もリプレイされていた。完全にオタクの欲望むき出しコンテンツが爆誕してた。
けれど、こうしたわかりやすい露出に発熱している方がまだ言い訳は立ちやすいかもしれません。オタクの想像力の翼、ジャンボ機よりデカかったりするので、腕まくりをしたときにチラ見えする血管にのたうち回ったり、喉仏の突起に神秘を見出したり、推し本人すら意図していないところを切り取って性的に享受していることも普通にあるわけで、その姿勢が正しいものかと問われたら、「正しさが人を救うとは限らない……!」と名言botみたいなフレーズで抗弁するしかありません。
とりあえず、最近、ある推しのドラマ出演が決まったのですが、役柄がライフセーバーだそうで。「これは推しの上裸が拝める……!」と瞬時に考えた僕は、駿河湾あたりに沈められた方がいいと思います。
◆理想の推しをつい要求! 「神様」として消費
推しを都合良く偶像化することも考えもの。特に度の過ぎた神格化は、推し本人への負担も大きいので避けたいところです。推しを神様のように思う気持ちはわかります。けれど、推しはあくまで生身の人間。あなたの理想の依代でもなければ、あなたを救うノアの方舟でもないのです。
推しを聖人君子のように崇めることは、ともすると推し本来の人格を無視した、自分にとって都合の良い“仮想の推しくん”を生み出す行為にもなりかねません。そして、勝手にイメージを膨らませることで、推しが不始末を犯したときに一気に裏切られたような気持ちになり、アンチに走る。人間は、なんて醜い生き物なんだ……!
ましてや、そんな清廉潔白な推しを推している自分は他のオタクとは違うのだと選民思想に浸るなんてもってのほか。推しは、あなたを正当化するために存在しているわけではないのです。
どれだけ推しが道徳的に優れていても、ステージを降りればただの人間。ヒゲも生えるしオナラも出るし、今夜も知らない女とイチャコラしてるわと思っているくらいの方が思想としてはヘルシーと言えそうです。
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気づけば推しの母親状態?