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「推しのことを消費している?」推し活のプロが罪悪感を覚えた瞬間5選

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「推しのことを消費している?」 推し活のプロが罪悪感を覚えた瞬間5選

「ひょっとして推しのことを、消費している......?」推し活をする中で、推しのことを純粋に応援できているのか不安に感じた経験がある方も多いのではないでしょうか。その「応援」と「消費」のジレンマを、イケメン俳優オタクであるライター・横川 良明さんに、実体験を題材に考察いただきました。

この記事を書いたのは…
横川 良明(よこがわ・よしあき)さん

ライター

横川 良明(よこがわ・よしあき)さん

1983年生まれ。大阪府出身。テレビドラマから映画、演劇までエンタメに関するインタビュー、コラムを幅広く手がける。著書に『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』(サンマーク出版)、『役者たちの現在地』(KADOKAWA)がある。
Twitter:@fudge_2002

「推しを消費したくない!」オタクの心の叫び

最近よく聞く「推しを消費したくない」というフレーズ。推し活がこれだけ過熱する今だから湧き起こるこのジレンマについて、みなさんも一度は悩まされたことがあるかもしれません。

そもそも「推しを消費する」とはどういうことを言うのか。明確な定義などありませんので、個人の解釈によってさまざまでしょうが、一旦ここでは「自分の欲望を満たすために、推し本人の人格や尊厳を無視し、過剰なサービスを求めたり、過度な期待をしたりすること」と置いておきます。

自虐でもなんでもなく、オタクなど欲望の権化のようなもの。クソデカ欲望をぶつけるサンドバッグとして推しを利用することなど心当たりがありすぎて、これが『緊急取調室』なら席に着いて2秒で自白している。

では、どんなときに消費の罪を感じるのか。イケメン俳優オタクの立場から考えてみたいと思います。

「推しを消費している」と感じた瞬間とは?

◆顔を褒めたら、ハラスメント? 「イケメン」消費

芸能人である以上、彼らが提供しているのはあくまでも「芸」。にもかかわらず、ついつい顔面にばかり意識が向いてしまうのが僕の悪い癖。

ひどいときには、魂込めて熱演する推しの演技に吸い寄せられる傍らで、「苦悶に歪む顔まで良すぎる……」とうっかり顔面のことを考えています。お前は推しの演技が好きなのか。推しの顔が好きなのか。と問われたら、じっと15秒沈思したのち、小さく「……顔?」と答えるでしょう。それくらい、顔is大正義。

一方で、ルッキズム(外見至上主義)という言葉が飛び交う昨今、人の価値を外見でジャッジしてはいけないという考えが社会的に広まっています。オタクたちの「顔が良い……」といううめきは、そんな時代の流れにバタフライで逆行するもの。現代社会の一員として、言動をアップデートしていかなければという意識も人並みにはあります。

推しの気持ちとしても、演技で身を立てていきたいと考えている以上、顔のことばかり言われるのは不本意な話。特に年頃の男の子であれば、「可愛いと言われるのが辛い」なんて悩みを抱えているケースも。そんな相手に対して、それが心からの応援の気持ちで発せられるものだとしても、「カッコいい」「可愛い」という容姿にまつわる言葉ばかり浴びせるのは、もはやハラスメントでは??と僕のポリコレ警察が出動するわけです。

とは言え、どら焼きを嫌いなドラえもんなどもはやドラえもんではないように、好きな顔なんてイケメン俳優オタクという自らのアイデンティティそのものと言っても過言ではありません。桜を見たら美しいと思うジャパニズムと同様に、推しの顔を見たら尊いとひれ伏すオタクイズムが遺伝子レベルで組み込まれている。そんなオタクとしての本能と現代人としてのモラルに引き裂かれながら、今日も「顔が良い……」と墓の下からうめき声を上げるのでした。

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推しを性的に消費?

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