「こんな顔になれたら」と、かつてここまで強く思った人はいない!
「なりたい顔ランキング」は、言ってみれば“美人顔の黄金比”とは違った基準で選ばれている。またその「なりたい」にはどこかしら、こんな顔を持っていたら自分の人生は変わっていたはずなのにという意味を含めた、“人生丸ごと”なりたい意識が働いているのだろう。
実はそういう意味で「あー、こういう顔になりたかったあ」と過去にないほど強く思う人を見つけてしまった。マリリン・モンローの名言に「他の誰かになりたいと思うのは、あなたという人の無駄遣い」という言葉があるが、何をどう頑張っても他の誰の顔にもなれないし、そう思うこと自体無駄だからやめようと思っていた自分が、ここまで純粋に人の顔に憧れたのは初めてのこと。
それが、再春館製薬所 ドモホルンリンクルのCMに登場する、入倉ちほみさんという人。同じCMに他にも2人のモデルさんが登場し、全員透明感があってともかく美しいのだが、最後に登場して、庭をホウキでお掃除しながら空を見上げて微笑む入倉さんの表情が、なぜだか妙に心に残ってしまったのだ。
おそらくはこののどかさと清らかに微笑む表情そのものにハマり、何かこういう表情ができる人間になれなきゃダメだという自戒の念がそこにある気がする。
美しい人はたくさんいるけれど、こんなふうに生きなければとまで思わせる顔ってそうそうないもの。だから不思議にいろんなことが見えてきた。自分は何者になりたいのか、今までモヤモヤしていたものが、実ははっきり見えてきたのだ。今さらだけど、自分の理想とする人生がぼんやり見えたような、そんな感じ。
で、ちなみにこの人は一体誰?と調べさせてもらったら、何とこの人、かつてVOCEが主催した「VOCEビューティモデル オーディション」の準グランプリに輝いた人だった。もう10年以上前のオーディションながら、さすがはVOCEの審美眼、あくまでも顔が勝負のビューティモデル、メイク映えも大きな決め手だけれど、やはりその面立ちに“人に訴えかける”ある種の力を見出したということなのだろう。
でも当時の写真を見ると、美しさはそのままでも、顔印象はだいぶ違う。以前は凜とした美しさ、それが柔和で穏やかになっている。この十数年に何があったのか、きっと穏やかな時間が流れていたに違いない。十数年にわたる時間経過が、こんなふうに顔印象の方向を変えるのだと、それも感慨深かった。
もちろんCMのシチュエーションから求められた表情、それにしても美しい穏やかさ。心が平和でなければ、こんな柔らかい顔にはならないはずだし、そもそも見ている私たちがこんな穏やかな気持ちになれるはずがない。そういう意味では相当優れたCMともいえるのだけれど。
私は恥ずかしながら、この顔に出合って、ひとりでいる時も、キレイな空を見上げて涼やかな微笑みができる人になりたいと思うようになった。その瞬間、お手本の表情を脳裏に思い浮かべると、上手に微笑むことができるのにも気づいた。ちょっと幸せな気持ちになれることにも。
あー、昔からこんな表情で生きていたらと、少しだけ残念な気持ちになったりもするけれど、自分自身が幸せでいられる表情を見つけられただけでもラッキー。
ともかく「なりたい顔」を見つけたら、なぜ自分はこの顔になりたいのか? 絶対そこまで突き止めること。単に顔の造作だけに憧れたのではないはず。必ず背景にある、その顔で生きていく人生までを見ているのだ。そこに自分にとって大切なことが潜んでいるはずだから。
「なりたい顔」に学ぶべき決定的なこととは何か?
実はここで改めて気づかされたのは、人間には年齢とともに顔がきつく怖くなっていく人と、逆に優しく穏やかになっていく人との2種類があるということだった。だから、歳とともにきつい顔立ちになるような生き方はしたくないと、その人を見るたびに思わされるわけだ。
たとえばマドンナは、年がら年中顔が変わり、もはや元がどんな顔だったかわからなくなってきたが、変わり方がドラスティックで、老化する代わりに顔がどんどん強大になっているのは確か。自身がなりたい方向、それがやっぱり強くてきつい顔なのだ。そういう生き方をしてきた人なのだから、当然の成り行きだが。
逆に、まだ37歳とはいえ、過激なコスチュームで登場して以降、長いキャリアを持つレディー・ガガは、何だか見るたびに穏やかな印象になっていて、対照的。もともとが人間的に優れている人といわれるだけに、どんな奇抜なパフォーマンスをしても、やっぱりそういうことって顔に出るということか。どちらにせよ人は、老化していく過程で性格や生き方が顔に炙り出されてくる。これは誰もあらがえない生理現象なのだ。
一方に“職業が顔をつくる”という説もある。実際、顔だけ見て「あの人はどんな職業だろう」と想像すると、不思議に当たっていたりする。服装を差し引いても、顔にはそこはかとなく職業が出るものなのだ。いや逆に言うなら、人はいつの間にか顔にふさわしい職業に自然に引き寄せられていくのかも。モデルなどは当然のこととして、他の職業も何かそういう容姿の適性のようなものを、無意識のうちに意識しているということか。
言い換えるなら、自分に適さない仕事をしていると、人間は何だか人相が悪くなる。歳とともにどんどんキレイになる人とそうでない人がいるのも、仕事との相性のせいだったりするのだろう。確かに、職場で輝かないのに、めきめきキレイになる人ってたぶんいない。次第に顔が怖くなっていく人は、やっぱり仕事を変えたほうがいいという話なのである。
一方で、山口真由元・弁護士の顔になりたい人は、あの顔で東大首席卒業で、元・財務省官僚で、というギャップそのものに引かれているのかもしれない。というよりこの人は、何をやろうと結果的に成功して、いつの間にか官僚にも弁護士にも、新しい顔のイメージを吹き込んでしまったのだから見事! いっそその職業のイメージを変えるほどの存在感を持ちたいもの。
広瀬すずから長澤まさみまで、いや、米倉涼子から石田ゆり子まで、出ずっぱりの人はやっぱりどんどんキレイになり輝きを増す。それはやはり運命が定めた仕事に見事に収まっているからなのだ。
そんなふうに今、人生と自分が合っているかどうか、それは顔にそっくり現れる。あなたは自分が生きるべき人生を生きているだろうか。「彼女はどんどんキレイになるから、きっと幸せなんだろうね」などと当たり前に言うように、みんな普通に人生と顔を照らし合わせて考えている。つまり顔はとてもフレキシブル。成人して大人の顔が完成するのも束の間、何年後かにはまた少しずつ変わり始める。経験や恋愛や仕事が、衰えという変化に合わせて新しい顔をつくっていくのだ。
そこで、他の誰かに近づいていくのはそれこそ“自分の無駄遣い”。何の意味もないが、「なりたい顔」から学ぶべきことはたくさんあるはず。いい仕事、いいパートナー、いい人生がいい顔をつくることを、そこから読み取るべきなのだ。そしてすべての「なりたい顔」に共通するたった一つのこと、そこを絶対見逃さないでほしい。それは、「ずっと見ていたくなる顔」であること。自分にとって入倉さんの顔も、それ。なりたい顔って要は、見ているだけで心地よく、幸せな気持ちになれるからずっと見ていたい、いつまでも見ていたいという、人生における悦楽を得られる顔なのだ。歳を重ねていく中で、ただただ美しく、とか、ただただ若く、ではない。せっかくならば、そういう顔を目指してみないか? 人に悦楽をもたらす顔を!
撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳
Edited by 加茂 日咲子
公開日:
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