14歳のデビュー当時、一番好きだったのはブルーのリップ。そのころから選ぶアイテムがちょっと変わっていたかもしれない
──メイクのキャリアについてお聞きします。本格的にメイクデビューをされたのは、何歳の頃ですか?
工藤「14歳でデビューして、最初は、お化粧品を持っていなかったので事務所の方にコスメショップに連れていってもらいました。そのころは、私に用意されたテレビ用のメイクがまだファンデーションではなく、ドーラン(舞台メイクなどで使われる油性の練り白粉)の時代で……。それが全然肌になじまなかったから、へちまローションとかベビーミルクと混ぜて、塗りやすくしたおぼえがあります。
14歳のときの一番お気に入りのリップは、ブルーでしたね。当時“ジャコリップ”っていうコンパクトに入ったもので、今でいうブルーグロスかな。素の唇にそのブルーを重ねると透明感が出て、顔色が少し悪く見えるのかもしれませんが、でもその自分の顔が好きだったの。そのころから、選ぶメイクアイテムがちょっと変わっていたかもしれないですね(笑)」
「なりたい顔」になるために、画材道具屋で買ったラメパウダーを使って光る肌を演出したことも
──パープルのリップや思い切り下がった“困り眉”など、唯一無二のメイクが当時話題に。ピュアメイク一辺倒だった時代に、自分色を強く発信する姿は、VOCEのオトナ世代にとっても“胸アツ”な思い出だと思います。我が道を貫くときに勇気はいりましたか?
工藤「人と違うことをやることに抵抗は全然ありませんでしたね。自分のやりたいということを楽しみたいという気持ちのほうが強かったと思います。
パープル系のリップもいろいろ使ったけれど、印象に強く残っているとよく言われるのが“葡萄色”。それも当時の日本ではなかなか手に入らない色で、海外で買ってきたものでした。メイクをするのは、自分の顔で遊ぶようなデッサンに近い感覚でしたね。自分がしてみたい顔になることだけを考えていたから、使いたい色がないときは、リップクリームの上からアイシャドウを塗っていたことも。もちろん、舐めないように気を付けて、ですけどね。画材屋で見つけたキラキララメパウダーをワセリンに混ぜてグリッターみたいなのを自分でつくり、下まぶたにつけたら泣いているような顔に見えて漫画みたいで面白いって発見したり。とにかく楽しんでいました」
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美肌の決め手はシートパックと日焼け止め