走り続けた先にあるものは幸福なのか?
韓国の悟り世代が生んだ人生観察エッセイ
「頑張れ」「諦めないで」「立ち上がれ」。これまで日本で読まれてきた自己啓発本では自身を奮い立たせるようにして使われるワードがこれらの類だったのに対して、韓国エッセイでは、むしろ逆の言葉を投げかけてくる。例えば、韓国で283,000部、日本でも12万部のベストセラー(※11月12日時点)を記録した「あやうく一生懸命生きるところだった」(ダイヤモンド社)を読むと、「一生懸命をやめよう」「立ち止まってみよう」「休んでみよう」と、表紙に描かれた休息中の姿に表されているように、冒頭からしきりと人生の小休止を促してくる。
本作の筆者は、会社勤めを経験したのち、フリーのイラストレーターとして働く男性。いい大学を出て、いい会社に入ることだけが幸福だと思っていた人生を歩んでみたら、そうでもなかった。だから今日からは自分の思う人生を歩んでいく。という、虚像の人生に対してのある種の結論を出し、そして心高らかに明日を“決して頑張りすぎずに”生きていくという宣誓に満ちた決意書でもある。「一生懸命生きない」という言葉は一見後ろ向きのようだが、その向こう側には新たな熱意で沸々としている状態を同時に表しているのだ。
いい大学に行って、いい会社に入って、結婚して家庭を持って……という幸せの基準がある程度一律化している韓国と日本は似ている。そこに個人が考える幸せの介在は、あまり認められてこなかったように感じる。昨今のコロナ禍が追い打ちをかけたこともあり、努力こそが実を結ぶという考えに徹していた韓国と日本において、考え方が変化してきている。日常が新しいスタイルになるのであれば、普遍的な考えも変わりゆくのが自然だろう。我慢と努力が大切、という考えは両国で今、いい意味で壊れかけてきているのだろう。
BTSも「쩔어(DOPE)」という曲の中で歌っているように、韓国には「五放世代」という言葉がある。これは、日本でいう「悟り世代」のようなもので、韓国の若者が「恋愛」「結婚」「出産」や「就職」「マイホーム」の5つを諦めざるを得なくなった困窮世代を示す言葉だ。そしてその先にはさらに「人間関係」「夢」の7つの希望を手放さざるを得ない苦境に立たされた青年層を指す「七放世代」という言葉もある。昔のような思い描いた人生はこの先にないと思わざるを得ない中で、今や、厳しい経済状況の中ですべてを諦めて生きる「N世代」という言葉も誕生している。
韓国エッセイが支持されるのは、そんな状況下にある若者たちの嘆きを真摯に受け取り、代弁してくれることにある。そして今日、その思いは日本の読者にも同じように共感されている。SNS映えする可愛い表紙に惹かれて頁をめくると、いつか聞きたかった言葉が胸の奥を突き、ふと目の奥が熱くなるのを感じる。心が洗われた気になることがある。病んでいたり、休んでいたりする主人公のフィルターを通し、読者は自分自身をそこに見出す。日々気づかぬようにしてきた様々な感情や、見過ごしてきた自身の心の傷に触れて、想いがあふれだしてくる。ヒーリング本とも呼ばれる韓国エッセイには、日常的に自身をケアできる働きがあるのだろう。
“幸せ”は人生の目的じゃない。
韓国エッセイが気づかせる幸福の本質
日本でのエッセイブームの始まりは「2019年 年間ベストセラー」にもランクインした話題のイラストエッセイ「私は私のままで生きることにした」(ワニブックス)の大ヒットだった。韓国で100万部、日本で45万部という異例のヒットを記録した本書は、BTSのメンバー、ジョングクが読んだとされたことや、SNS映えする色調の表紙、そして「人と比べるのではなく、自分らしくあっていい」と一貫して伝えるメッセージ性が若者を中心に支持された結果だった。
「自分からみじめになる必要はない」「意地悪な人を相手にする必要はない」「他人と比較する必要はない」と、こんなにも私たちの人生には“不必要”にまみれていることに気付かされる。自分自身を悩ます数字で人生を図り、日常をつまらないものにしているのは、他人ではなく自分なのだ。そこから解き放たれることの大切さを教えてくれるエピソードの数々には、心の底から共感するし、負の連鎖から抜け出したいと同じように思う自分の気持ちを確認できる。
また、著者の最新刊「頑張りすぎずに、気楽に」が12月11日に発売される。「私は私のままで~」の愛読者には待望の翻訳版発売となる本書には、「ありのままの自分で生きることにした私たちが次に目指すのは、幸せに生きるための人間関係を築くこと」というテーマを掲げ、自分が心地よいと思う他者とのバランスについて綴られている。自分を頑張りすぎないために、人との関わっていく上での気楽な心の持ちようを教えてくれることだろう。