“嫌いな人がいない幸せ”を叶えるたった一つの方法
今こういう時期だからかもしれないけれど、世界のセレブで最も“否定形”が多いのは、やはりメーガン妃? そんなデータがあるわけじゃないけれど、自分を取り巻くコトやヒトをことごとく批判しているイメージがあって、それが「この人はさぞかし、嫌いな人が沢山いるのだろうね」……なんて思わせてしまう。
そして言うまでもなく、人間、嫌われれば嫌いになる。嫌いな人ばっかりの人が好かれるはずもなく、生き方としてとても損。批判することで何かを改善したいという想いとは裏腹の悪循環。だから、嫌いな人が沢山いるイメージの人になってはいけないのだ。
大体が、嫌いな人の人数だけやっぱり不幸感は増えていく。日常的な幸せのテクニックを説くウェルビーイングの世界では、「嫌いな人がいないことが安定的な幸福感を生む」と考えるからである。
じゃあ嫌いな人はどうしたらなくせるの? これはズバリ、嫌いな人には近寄らない。関わらない。これが一番なのだが、いやでも関わらなきゃいけないから嫌いが終わらないケースがほとんど。
そこで、もっと抜本的な解決法としては、好きか嫌いかで人を分けないこと。好きな人か、それ以外か、どちらかしかいない、そう考えてみるのだ。嫌いと思うと、いやでも心にまとわりつくから。
とくに攻撃してくるような人に対しては、嫌いを上乗せしがちだからこそ、「自分の人生には関係ない人」「生涯何の影響もない人」として心の中から排除していく。よく言われるように、みんなからぐるりと嫌われているような人は、嫌いというより、心の中で「可哀想な人」と取り扱うのがベストで、どちらにせよ、嫌いという概念を消し去れば、たぶん何を言われてもさほどのダメージにならないはずだ。
嫌いじゃなくて関係ない、嫌いじゃなくて関心ない、嫌いじゃなくてどうでもいい、なるべくそう思うこと。すんごいイヤな奴だけど、嫌いじゃない、そういうパターンでもオッケー。
あの人嫌い……そう言った瞬間に、自分の中に毒が生まれ、それが内側から自分を少しずつ少しずつでも蝕んでいく可能性があるから、まずその言葉を切り捨てたいのだ。
嫌いは好き以上のエネルギーを使う。とくに職場やママ友などの逃れられないコミュニティにおいて、想像を超えるストレスを生んでしまう。そしてまた嫌いは新たな嫌いを呼び、毒がどんどん膨らんでいってしまうから、嫌いの感情は早いうちに切り捨ててしまうべきなのだ。
というわけで、嫌いな人のいない幸せを叶える“たった一つの方法”は、「自分には好きな人か、それ以外か、どちらかしかいない」と考え、「これからも好きになる可能性がない人はみな、自分の人生にまったく関係がない人」として、思い切り心の距離をおくことなのだ。見えないくらい遠くにいる人のように。
“嫌いな人”が絶えない人は、いっそ嫌いな人の幸せを願うこと
ただそんなふうに嫌いな人をすぐに心の中から追い出せる人はいいのだ。どうしても、関係ないと思えない人は、ちょっと上級編に進んでほしい。なぜなら、そのクラスになると、むしろ嫌いな人がいる原因は、自分自身にあるから。
中には嫌いになるだけでなく、うっかり相手の小さな不幸まで望んでしまう人がいる。前回のコラムでも、「相手の不幸が自分の幸せ」になってしまう人間のサガについて書いたけれど、まさしく嫌いは、そんな毒まで生んでしまうから怖いのだ。
そこで、嫌いな人をなくす上級テクニックは、いっそ相手の幸せを望むこと。そんなの無理に決まっているじゃない?と言うだろう。でも実はそこに人間関係におけるあらゆる悩み解決の根源がある。
どんな場面にあっても、常に人間関係で怒りを覚えていたり、いつもいつも嫌いな人がいる場合は、やっぱり「さて自分はどうなのか?」というところに戻るべき。子供の頃から、どのクラスに入っても嫌いな子が複数いて、何かと揉めごとが多かった人。大人になったらなったで、どんな職場でも、どんなコミュニティに入ってもやっぱり揉める、そして嫌いな人がいる……そういう人はこの際自分自身を見直すべきなのだ。
はっきり言えば、否定の多い人間性のせい? ついつい忘れてしまいがちだけれど、何だか幸せでないのは、いろんなことを不満に思い、いろんなことを否定する性格自体に原因があること、思い出すべきなのだ。だからこそ無理でも何でも嫌いな人の幸せを願えるよう自分を変えていく努力が必要なのである。相手の幸せを嘘でも願った途端、突然自分が楽になることに気づくはずなのだ。
それこそメーガン妃がいつもいつも不満を口にすること、それはまわりだけの問題ではなく、申し訳ないけれど、やっぱり本人自身の問題なのだというところを反面教師にしたいわけで、メーガン妃はせめてもこれから英国王室メンバーの幸せを願うべき。それがあなたの幸せにつながりますよと言ってあげたい気がする。余計なお世話に決まっているが。
ただ、ややこしいが、「私には嫌いな人がいない」と高らかに言うのはやっぱり危険。人格者をアピールするあざとさが匂うから。たとえば面接の時「苦手なタイプはありますか?」と聞かれたら、あなたは何と答えるだろう。実は、最近の面接ではよくこの質問が出るらしい。そして「とくに苦手なタイプはありません」という答え、これはブーッ! そう答えたほうが有利だからというのがミエミエ、さもなければよほど鈍感か。こういう時こそ正直さが説得力を持ち、問題解決力をアピールできるチャンスなのに。
さらにはここで、「苦手なタイプは、自分の人生には関わりがないと考えるようにしています」とも言っちゃダメ。本来はそうであってよいのだけれど、これは仕事の面接試験。問題から逃げるタイプであると思われてしまう。苦手なタイプを分析し、だから自分はこのように対処する……そこまでを語るのが正解なのだ。
実際に職場では、嫌いな人とチームを組まされる可能性は大。だから仕事は厄介なわけだが、そこでは理想論でもユニークな方法でもいいから、自分なりの対処法を語るべき。たとえば、「私は、ズルい人が苦手です。自分だけが得をしようとするタイプなので、それが他者に損害を与えないものなら騙されたふりをし、まわりに迷惑をかけるものならはっきりとそれは違うと言うようにしたいと思います」なんて言えたら理想的。いずれにせよ、本気で生きている限り、嫌いな人がいない、という境地に行き着くのは難しい。到達できても歳をとり煩悩が消えてから。だからどんな場所でも「嫌いな人がいない」なんて軽々しく宣言しないこと。
逆に言えば、「立派な人間は嫌いな人がいない」だから、「嫌いな人がいてはいけない」という決めつけをやめること。人生どんな悪魔みたいな人が現れるかわからない。どんなモンスターと関わらざるを得なくなるかわからないのだ。だからこそ、嫌いと気づいた途端に対処するくせをつけ、嫌いを無関心にスイッチする。そうやってあちこち嫌いな人だらけな人には絶対ならないでいよう。
逆から言えば、嫌いな人を嫌いなままにしない、自分の中で毒にしない努力が、その都度、心をどんどん浄化してくれる。だって自分の中の毒を消していく作業なのだもの。嫌いになるたび、浄化する、そのくり返しこそが大切なのだ。嫌いのお掃除で、自分の心を洗ううち、どんどん善い人になっていくかもしれないのだから。気がついたら本当に、嫌いな人のいない幸せに包まれているのかもしれないのだから。
撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳
Edited by 中田 優子
公開日:
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