頑張る人ほど、デキる人ほど自信を失うのが、世の中の仕組み
その人のどこがどう素晴らしいのか? 女優の魅力分析を長年書かせてもらった経緯から、何通かのお礼のお手紙をいただいたことがあったが、意外だったのは複数の方に共通していた内容……。
何だか自信を失っていたので、勇気づけられました。少々落ち込んでいて、自分のことを書いてくれている記事を見つけて嬉しかった。辛い時期で励まされました。面識もないただの書き手に、心のうちを吐露してくれるのはありがたかったが、一方で、どうしてこれだけの人気女優がそろって自信を失ったり落ち込んだりしているのか、不思議でならなかった。
それぞれに活躍中で、仕事に翳りが出てきたからではなかったはずだが、忙しすぎる辛さもあって、不安定になりがちな中、自分の魅力を掘り下げる記事を見て、ふと張り詰めていたものが解けたのかもしれない。ハリウッド女優のメンタルが危ないということはたびたび記事になるが、どんなに恵まれていても、順風満帆に見えても、自信満々ではない。皆不安におののいているのだ。
いやそれどころか、人間、実は頑張れば頑張るほど辛いことも多くなる。一般女性も同じ。頑張って頑張って何かやり遂げた実感があっても、その分だけ軋轢も多かったり、またすぐに不安が押し寄せたり。だから頑張る人ほど、デキる人ほど苦しんでいたりするものなのだ。
成功すると「景色が変わる」とよくいわれるけれど、例えば今まで時々頑張って5000円くらいのディナーを食べていた人が、1万円超えのディナーが当たり前になって、でも改めてまわりを見回したら、自分はまだ序の口で、3万円のディナーを平気で食べていないと成功したとは言えない。成功したらしたで成功者の仲間入りをするから、かえって劣等感を感じ、まったくキリがないという仕組みがあるのだ。もちろんこれは“成功=高収入や贅沢生活”という基準でモノを考えた場合だが、まったく逆に、成功してもまるで生活を変えなかったといわれる“あの人”も、実はこんな言葉を残している。「どんな人でも、不安がきれいに消えるということはないと思うの。成功すればするほど、自信は揺らぐものだと思うこともある。考えてみれば恐ろしいことね」そう言ったのは、オードリー・ヘプバーン。あんな人がなぜ? でも常に世の中を冷静に見ていた人だけに、物事の本質がきちっと見えていたのだ。「考えてみれば恐ろしいこと」と。
大まかに人生の自信曲線はMの字を描く。人生における最初の山は若い頃の「根拠なき自信」。経験がないから自分はデキると思い込む。ただこれは勇気の源ともなり、悪い面ばかりではないが、長く続ければ必ず自信過剰な人になる。つまりキャリアを積むほどに、自分がそれほどデキないことに気づき、一度思いっきり凹むべき。これがMの字の真ん中の谷間。しかし有能ならば、さらにキャリアを積むことで再び自信を高め、2つ目の山を極めることになる。もちろんそのまま一生自信満々で生きていく人もいるのだろうが、逆に冷静な人は、再び自信を失う。それがMの字の2つ目の下り坂……。
ただこの2回目の自信喪失については、2つのケースが考えられる。1つ目は、自信をつけたことによって、自分で自分のハードルを上げてしまい、上手くなっても上手くなっても満足できない。女優の演技にしても演奏家の演奏にしても、まだ先があるのだと苦しむ自信喪失。でもこれは実に素晴らしい喪失だ。一流の人は皆どこかで自信がないというけれど、まさにそういうことなのだ。
2つ目は、まわりと比較しての自信喪失。優秀な人と比べて自分はダメダメだと。人間はある程度のレベルまで行くと、どうしても同じレベルの人間への評価が気になってくる。一般的にライバル関係とは、下位で戦うものではなく、あくまで上位のランキングを競い合うもの。デキる人間同士ほど評価を競い合う。だから、例えば人気女優も、同世代の同じようなキャリアの女優が活躍しているだけで、嫉妬や悔しさを感じながら、一方で自分はダメなんだと自らを責め、どんどん自信をなくしていくのだ。たとえ自分も活躍していようと。
でも、比較による自信喪失はまったく無意味。もともと「誰々より私のほうがすごい」という比較によって得た自信は、極めてもろく意味のないこと、逆も同じなのだ。ただ比較によって失った自信を、どうやって取り戻すか? ここも道が分かれてくる。仮にライバルに勝つことで自信を取り戻しても堂々巡りになるし、結局「比較で得た自信は極めてもろい」というところに戻ってしまう。
例えば、羽生結弦があえて「引退」と言わず、今後は競技をやらずに自分なりの基準でさらに進化を極めていこうと決意したのは、まさにそのパターン。人と比較しない、されない立場に自分を置くことが、尊い自信を自ら守るための重要な決め手でもあることを教えてくれた。
話を一般人の自信回復に戻せば、とても重要なのは、自分の自信を奪っていくような人の行動に関心を向けないこと。これは、ある意味ネガティブな、ちょっと情けない手段なのかもしれない。達観したわけではなく、単に情報をシャットアウトすることで、ひたすら自分の心を守ろうねという方法に他ならないから。
ただ、それでいいのだと思う。自分の自信を奪っていく人やモノからは逃げればいいのだ。せっかく生まれた自信を、意味のない比較で壊すのはもったいない。
自信は、ありすぎてもなさすぎてもいけない、とても取り扱いの難しい感情だ。自信を持って! という提案は散々聞かされるが、それ自体簡単ではないし、自信家の自信を縮小させるのはもっと難しい。どっちにしろ、ちょうどいい自信を持つことは簡単ではないのだ。
それは何を意味するか。人間は一つの宿命として自信と自信喪失を繰り返してしまうこと。いや、繰り返したほうがいい。繰り返さないと成長はないからだ。
一方、紛れもない正解の一つとして「謙虚さと静かな自信を両方持つ人が正しい」という法則がある。これはほぼ“人間の完成”を意味するからかなりハードルが高い。そこまで行き着くのは、やはり結構歳をとってからになるのだろう。だからそれまでは、繰り返せばいい。自信を持ったり、失ったり、また取り戻したり……人生その繰り返しでいいのである。
逆に言えば、件(くだん)の人気女優たちのように、自信をそそり立たせてもいい立場にありながら、自信をなくしている姿は、むしろ素敵に見える。これで例えばアカデミー賞なんかに輝けば、また自信を取り戻すのだろうが、じゃあ2つ目のアカデミー賞を! と狙えば、また壁にぶち当たる。私たちも同じで、上手くいくことばかりではないし、悪いことばかりではないけれど、そうこうしているうちに、謙虚さと静かな自信がセットで生まれてくるはずだ。とても自然に。それはちゃんと自信をなくすことができた人だけが到達できるゴール。ずっと自信を持ち続けるなんてありえないから。
さあ、あなたの自信は今どこにどんな状況にあるのだろう。ちょっと確認してみてほしい。自己肯定感が低いのはマズイという、今流行りの提言に惑わされず、今は自信がなくたっていいと思えるようになるはずだから。自信を失うって実は素敵なこと!!
そっくり成長につながることを知っていれば、自信のない自分もちゃんと愛せるはずだから。
撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳
Edited by 中田 優子
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