男と女の相性と同じ、仕事との相性こそ決して侮ってはいけない
男と女にも、女同士にも、どうにもならない相性というものがある。人と人との相性も一つの宿命。前世からの因縁なのか、はたまた遺伝子のなせる業なのか、ともかく理屈を超え、いかなる努力も通用しなかったりする相性。そればかりは人間が逆らえないものなのだ。
例えば、夫が浮気した理由を「彼女とはともかく相性がいいんだよ」と言われたら、もう二の句が継げない。怒っても説得しても、意味がないような……それが相性というものなのである。
そう、だからマッチングにも遺伝子から生物学的に相性の良い相手を探すものまで登場、唾液から割り出す相性はかなり正確で、近親者同士の相性はちゃんと最悪という解析結果が出てくるらしい。
本来、相性とはそのくらい無視できない、侮れないもの。にもかかわらず、みんなその相性を軽く見ていないだろうか。何とかなると思っていないだろうか。
今回は男女の相性以上に、どうにもならない仕事との相性について考えてみたいのだ。仕事の相性こそ、遺伝子が濃厚に絡んでくるはずだから。まずは自分の心に聞いてほしい。自分と仕事との相性、本気で考えてみたことがあるだろうか。夢を叶えた人は別として、何となく成り行きで今の仕事についている人や、仕事が嫌で悶々としている人でさえ、自分との相性という視点から、仕事を見つめ直したことはなかったのではないか?
例えば、女優では鳴かず飛ばずだった人が、事業を始めたら大成功したりするようなことは平気にあるわけで、逆に考えれば、仕事で辛い人、仕事ができない人、人間関係がうまくいかない人は、とっても単純にその仕事との相性が悪すぎる……それだけなのではないか。少なくとも忙しすぎて辛いのは相性が悪いから。相性が良ければ忙しさも楽しいはずなのだ。就職時の適性検査ではやっぱり出てこない、精神的、生理的な相性までをここで洗い出してみてほしいのである。
では、どうやってその相性を割り出すのか? ある人は、日常のふとした瞬間、「あ、私がやりたかった仕事はこれなのだ」と気づいたという。それは、駅のホームでちょっと辛そうにしている人がいて、これは見過ごせないと声をかけ、駅の医務室までサポートして連れて行き、駅員にお礼を言われ……たったそれだけのことなのだけれど、この小さな行動に、何か心の目が開かれるように目の前がパアッと明るくなる気がしたという。そしてまるで何かに突き動かされるように、一般事務の仕事をしながら、通信の看護学校に入学して2年間学び、30歳で看護師になっている。学生時代は思いもよらなかった仕事、でもこれがもっとも自分らしい姿なのだと日々実感しているというのだ。なぜ気づかなかったのだろうと。
こんなケースもある。たまたまクレームの電話を取ってしまい、延々と文句を並べ立てられたが、真摯に丁寧に対応していたら「あなたはとても誠実に聞いてくれたから、あなたに免じて許します」と言われたとか。そうやって人の怒りを鎮めることも何か重要な仕事なのだと気づいて、自ら進んで、クレーム処理の仕事についた。あり得ないほど非常識な人も多く、激しく傷つくことも多いけれど、でも他の人にはできない仕事なのだという自負が自分を励ましてくれる。きっと相性が良いからそれも苦にならないのだ。
そして一方、新しい家を探しているとき、不動産会社のスタッフといろいろ関わる中で、この仕事ってなんだか素晴らしいと気づいた人も。なぜなら新しい家を探す人、住み替えを考えている人は、みな人生の切り替えの時期にある。そんな中で、良い物件を紹介できたときの達成感、誰かの幸せチェンジに立ち会える感覚、その手助けをしたという快感、それがたまらなく素晴らしいと、一流企業を辞めて、即刻、不動産業に転職したという人がいるのだ。その気持ち、よくわかる。同じ販売の仕事でも売るものによって相性が違う。不動産業はまさに新生活そのものを提供し、新しい人生の形を紹介するような喜びがあるから、強烈なやりがいを感じる……そういう気づきが、運命の相性を教えてくれるのだ。
リモートワークが教えてくれる今の仕事との本当の相性
そう、ウィズコロナの時代に入り、奇しくもそうした相性に気づく人が増えている。リモートワークとなって、すごく楽になった人、逆に辛くなった人、さまざまだと思う。ただいずれにしても今まで当たり前のようにやっていた仕事に新たな疑問を持つような気づきがあったはず。つまり相性を見直す絶好の機会。
実際今、自分はリモートワークには向かない、誰かと関わりながら仕事をしたいと気づいて、販売業に転職しようと決める人がいるとの話を聞いた。逆に、家でひとり黙々と仕事をするのが心地いいと、気づく人も少なくない。環境が大きく変わったコロナ禍では、多かれ少なかれ仕事を見直す心模様になったはずなのだ。
でも問題は、そこに気づけるかどうか。例えばバイオリニストには、まだその楽器の名前も知らない幼い頃に、たまたまどこかでバイオリンの演奏を聴き、子ども心に雷に打たれたように衝撃を受け、どうしてもこの楽器が弾きたいと親に懇願したという人がいる。もちろん天才的な才能をすぐに開花させた。神の啓示とでもいうのだろうか、いや、むしろ運命の適性に、自ら気づけることも、一つの才能。一生をかける仕事との相性は、自ら気づかなければ絶対に誰も教えてくれないって肝に銘じておきたいのだ。そして、子どもの頃から鋭い感性を持って生きていれば、必ずどこかで気づけるはず。言い換えれば、子どもはさまざまな邪念や思い込みがないからこそ、気づくチャンスは多いのだ。
ただ一方、まっしぐらに音楽家としての研鑽を積んだのに、いざステージに上がってみると緊張しまくり、自分は人前でパフォーマンスをするのは決定的に苦手なのだと気づいてしまい、たちまち演奏家を諦めてしまう人も実は少なくないのだ。つまり運命の適性にも、どこかに歪みはないのかどうか、途中で精査することも大切なのである。
多くの人は、そんな意識なく生きている。ただ仕事をして、何か気持ちが高揚したり、説明のつかない快感を感じたり、逆に強い違和感や嫌悪感を感じたり。そういう瞬間はきっとあるはずなのだ。いずれにせよ、相性の良し悪しのヒントは何気ない日常の中に必ず隠れている。その大切なヒントを見ていないから、見ているのに感じようとしないから、相性に気づけないのだ。さらには40代そこそこで、今さら仕事を変えるなんてありえないという新たな邪念が重なってしまうから、相性が悪いことにうすうす気づいていても一生動かずに人生終わってしまうことも。それではあまりにもったいない。なんだかんだと100年人生は続いていく。ならばもっと自分が生き生きできる、自分にとって素晴らしい仕事とともに生きていくべきなのだ。いくつになったって遅くない。一生の相性を探してほしいのだ。
大体が人生、お試しできないこと自体が本来間違っている。まぁ男と女は付き合って同棲してみて別れることができるし、家も相性が悪いなら、引っ越せる。でも仕事は何かぐずぐずしがち。相性の悪い仕事に無理矢理しがみついてしまいがち。ましてや、今の仕事が辛くて“生きていくのも辛い”と思ってしまうなど、あってはならないことだが、そこまで思い詰めてしまいがちなのが、実は仕事との相性のズレなのだ。
いずれにせよ本当に相性の良い仕事に出合えずに一生終わってしまうとしたら、それは自分の可能性を半減させること。もはやそんな時代ではない。いくつになろうと、エイッと一気に切り替えればいい。もちろん単に無作為の転職を繰り返すのでは意味がない。考えて考えて、気づいて気づいて、相性の良い仕事を探すのだ。目を凝らし、耳をすませ、心をピュアにして、自分とは何か、どこにいるのが一番心地よいのか。誰に何を言われているのが一番好きなのか。それを今こそもう一度探してみてほしい。
今はまさにリセットのとき、そういう絶好のときが巡ってきたのだから。
撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳
Edited by 中田 優子
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