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意志を持ったオーガニック「ジュリーク35年白書」[PR]

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今年35周年を迎えるジュリーク。オーストラリアのアデレードでの創業当時から、妥協なきオーガニック&ナチュラルを貫いてきた。今、真実のエシカルをジュリークに学ぶ。

─齋藤 薫 責任編集─

【ジュリーク35年白書】意志を持った意志を持ったオーガニック

齋藤 薫 責任編集【ジュリーク35年白書】意志を持った意志を持ったオーガニック

真実のエシカルをこのブランドに学ぶ

まったく妥協なくオーガニック&ナチュラルを貫くことは、ケタ外れの努力と情熱がなければ絶対になしえない境地。本当の意味で地球愛と人類愛がなければ到達できない心の聖域。しかも化粧品としても愛されなければ意味がない。地球を汚すことなく、人を美しくし、幸せにする、それを本当の意味で成し遂げたブランドは一体どれだけあるというのだろう。その精神を知ることが美しさの仕上げ。幸せの仕上げ。今、真実のエシカルを、このジュリークに学ぶ。

(左上)ジュリーク ハイドレーティング ウォーターエッセンス 150ml ¥6900
(左下)ローズ ハンドクリーム 40ml ¥2900
(右)スキンバランシングフェイスオイル 50ml ¥7800、10ml ¥1800
/ジュリーク・ジャパン

日本にオーガニックの意志を教えたのは、ジュリークだった

◆なぜオーガニックなのか?なぜ有機栽培でなければいけないのか?それを教えてくれたブランド

まず、オーガニックとは一体何? そう聞いて、するすると答えを出せる人は、未だそう多くないのだろう。それでも、オーガニックが訴えるものが何であるか、私たちはもうよく知っている。オーガニックが持つ精神や心のありようも………。それを教えてくれたのが、このジュリークだったと思うのだ。逆を言えば、オーガニックの心を丁寧に伝えるこのコスメブランドがなかったら、私たちのオーガニックへの理解はここまで深まらなかったかもしれない。

35年前、ジュリークが生まれた頃はオーガニックという言葉すら知らない人がほとんどだったはず。だから、ジュリークが日本上陸を果たすのは、香港やシンガポールにも遅れること8年、1997年のことだ。その後、日本にもオーガニックの最初のブームがやってくるものの、それは多分にイメージ先行のファッション的な捉え方をされていた。そこで“一つの揺るがぬ本質”を身を持って伝えることになったのが、やはりジュリークだったのだ。

でもどうやって? ジュリークは化粧品メーカーである前に、有機栽培の広大な農園をイチから切り開くことに始まっている。まるでなぜ有機栽培でなければいけないのか? それを自ら紐解くように。まさしくそこにオーガニックの魂があることを、世に知らしめたのだ。

◆だからオーガニックコスメは、単なるコスメではない、むしろ意志を伝える一つの手段なのだと、気づかせた

ジュリークの創設者は、ドイツの学者夫妻。化学者であるDr.クラインと植物学者ウルリケ夫人が、理想的なオーガニックの聖地を求めて、ドイツから地球の裏側といってもいいオーストラリア・アデレードに移住したことから全てが始まる。ドイツも森林浴発祥の地があるなど、優れた植物を生み出す土地なのになぜ? と不思議に思うが、100%妥協なく有機栽培の地を求めたからこそ、そこまで行き着いてしまったのだ。寒暖の差が激しく、空気が乾燥し、強い紫外線が照りつける、ある意味で過酷な風土が強靭でたくましい植物を育てるから。

ではなぜこの地で化粧品を作ろうと考えたのだろう。おそらくは「化学×植物学」という夫妻の専門分野の掛け算が、植物性の化粧品につながっていったのだろうが、それこそ人生をかけての移住と、驚くほど広大な自社農園の開拓には、強烈な使命感が浮き彫りになってくる。ここで収穫した植物を使い、最初は自宅のキッチンで化粧品を手作りしていたと言うが、これがあっという間に世界中に広まっていく。でもそれは化粧品ビジネスの始まりと言うより、やはりあくまで開拓者の物語。紛れもなく地球環境の変化に憂慮し、学者としての使命感から居ても立ってもいられずに地球の果てまで来てしまったのだろう。今どうしても伝えていかなければいけないことを、化粧品なら伝えていける、と。そういう意味では神の啓示を受けて、地球のために立ち上がった人たちといってもいい。まさにドラマである。

そして真実のエシカルを私たちの心に強く訴えたのも35年目のジュリーク

◆それは一朝一夕には到達できない境地。昨今のSDGsへの意識の高まりは、逆にジュリークの偉大さを教えてくれる

日本は未だにオーガニック後進国である。ようやくレジ袋が有料化になったものの、世界的な流れから見れば、やっと?という印象。それでもちゃんと前に進めたのは、美しい海がプラスチックゴミで汚された映像などを目の当たりにし、本当に心が痛んだという人が少なくなかった証だろう。やはり最後は良心。地球を汚してはいけないという良心なのだ。一方で、数年前から国連が掲げた「持続可能な世界をもたらす開発目標」SDGsが、にわかに身近なものになってきて、一人ひとりに「サステナブル」というテーマをかつてないほど力強く訴えかけることとなったから。

サステナブル……持続可能なこと。環境破壊をせずに維持、継続できること。「土に還る」と言う言葉があるけれど、有機物が完全に分解されて土壌の一部と化すこと。つまり土に還るものだけを生み出すのが、サステナブルであることを私たちも次第に理解するようになっている。そう、だから有機栽培であり、オーガニックなのだ。すべてを土に還し、また蘇らせて人間に還元していくサステナブルを、完全な形で成し遂げたいと考えたから、ジュリークが生まれたのだ。逆から言えば、ここまで妥協なく完璧に、土から始まるサスティナブルを自らの手で形にした化粧品は他にない。一朝一夕には到達できない、とてつもない境地なのだ。

でもそこへ衝き動かしたものは何だったのか? どう考えても、それはエシカルな心。倫理感や道徳心、そして良心、つまり大きな意味での正しい心でしか、そのモチベーションを説明できないのだ。ようやく世の中がエシカルに目覚めている今、それを35年前から実現していたジュリークの偉大さに、今更のように気づかされる。存在そのもので、サスティナブルとは何か?を、世界に啓蒙してきたのだから。その上で、魅力ある化粧品として愛され、大成功を収めているのだから。

◆このブランドの一挙手一投足に、ちょっと感動的でもある人々へのエシカルなメッセージがこめられている

自然との共生…… 美しい言葉だし、世界中が今それをテーマに努力しているのは確か。でもこれこそ「言うは易し行うは難し」の典型で、言葉通りに実践するのは恐ろしく難しい。そこに取り組むのには、手間と時間とお金と信念、それをずっと続けるのにはケタ違いの努力と情熱と、そのすべてが不可欠だ。

何といってもジュリークが築き上げた大農園は、丸ごとオーガニック認証農園。自社農園で原料となる植物のほとんどを栽培し、品質管理から製造までの一切を自社で行う、そこまで徹底したオーガニックコスメは、実際世界に例を見ない。大変な手間の結晶であることはわかるはず。誰にも頼らず、誰にも任せず育ててきた植物は、わずかでも無駄にしたくない。そこにはマーケティングが介在しない、地球愛としか説明できない意志がある。

月の満ち欠けと呼応する「バイオダイナミック無農薬有機農法」にこだわり、1993年にはアデレードに肌治療を目的としたハーブ製品専用の認定ハーブ治療工場を設立。ヘルス&ヒーリングセンターとしての認定を受けるなど、単に製品ラインナップを増やすだけではない、自然界が人にもたらす恵みを120%引き出そうという気概を強く感じる。つまりそこには深い人類愛が存在するのだ。

ジュリーク35年の歴史を振り返るほどに、スキンケアの領域を超え、心揺さぶるメッセージが様々伝わってくる。今こそ、その一つ一つに改めて耳を傾け、ジュリークが本当に訴えたかったことを心に刻みつける時なのではないか。そこに真のエシカルがあり、これからの時代、ひょっとしたら私たちにとって最も重要となるテーマが語られているのだから。

【ジュリーク35年の歩み】オーガニックをトレンドにし、意識革命にまで持ち込んだ歴史

1983:創業者Dr.クラインと植物学者ウルリケ夫人がピュアでナチュラルな原料を求め、オーストラリアへ移住

1985:【ジュリーク誕生】南オーストラリア・アデレードに自社農園(10エーカー)を開拓。

バイオダイナミック無農薬有機農法で植物を育て始める

オーストラリア、カナダ、アメリカで販売を始めるハンドクリーム(ローズ、ラベンダー)発売

ハンドクリーム

1991:南オーストラリア・アデレードに、スキンケアと治療を目的としたハーブ製品専用の、認定ハーブ治療薬工場を設立。アデレードに初のコンセプトショップ開店

1993:ロングセラー美容液「ジュルアメリオーレ」(通称ジュルアメ)発売

ジュルアメリオーレ

1997:【日本1号店オープン】

1998:

ジュリークオーガニック認証自社農園が、地元議会からヘルス&ヒーリングセンターとして認定を受ける

1999:【世界20ヵ国にビジネスを展開】

2006:

ジュリークオーガニック認証自社農園がバイオダイナミック無農薬有機農法認証「NASAA」を取得。以降、毎年継続更新

2007:ロゴ、パッケージ、店舗デザイン等のブランドイメージを刷新

イメージ刷新後のハンドクリーム

2012:

・ジュリークビューティー基金設立(地球環境および女性の活動を援助する基金)・植樹の日を設け世界中から集まったジュリークのスタッフが植樹(毎年継続)

2013:ロングセラー美容オイル「スキンバランシングフェイスオイル」がドロッパーになる

スキンバランシングフェイスオイル

2014:オーストラリアにおけるプレステージスキンケア市場においてNo.1ブランドへ成長

・APCO(オーストラリア包装規約組織)アワード受賞(2017年まで4年連続)

最高峰エイジングケアライン「ニュートリディファイン」発売

2016:「ジュリーク ハイドレーティングウォーターエッセンス」発売

ジュリーク ハイドレーティングウォーターエッセンス

2018:ロングセラーのミルククレンジングが「リプレニッシングモイスト クレンジングローション」として11年ぶりにリニューアル

リプレニッシングモイスト クレンジングローション

2020:【創業35周年】

・ペーパーバッグの廃止ショッピングバッグとして再生コットンバッグの販売を行う・新型コロナウィルス感染症対応の病院にハンドクリームをはじめとする商品を寄付

※ジュリークにおいて

▶︎②「ジュリークは最初からSDG’sの時代を予言していた!?[PR]」記事はこちら

▶︎③「ジュリークの意思が心に響き渡る、35年目の願い[PR]」記事はこちら

ジュリーク35th特別サイトは
こちら

提供/ジュリーク・ジャパン
0120・400・814
https://jurlique-japan.com/

撮影/近藤正一、藪下浩孝 取材・文/齋藤薫

Edited by VOCE編集部

公開日:

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