美容のミライ

コロナ禍の医療現場にも届いた、タトゥーデザイナー・岩谷香穂さんが拓く、新たな価値観

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可憐で繊細、でもちょっとゆるい絵柄が乙女心をくすぐる、タトゥーシールの人気ブランド「opnner(オプナー)」。しんどい日も、一緒に越えていこう!そんな“励まし”を届けたいというブランドの思いがたくさんの人に伝わり、愛用者の方たちにとっては毎日を乗り越えるためのお守りのような存在になっているのだという。すべてのデザインを手がける弱冠26歳の岩谷香穂さんの言葉を通し、自分の未来や新しい価値観を考えるキッカケがみえてくる。

【お話をうかがったのは……】

岩谷香穂(いわや・かほ)さん

岩谷香穂(いわや・かほ)さん
自身がデザインを手がける、オリジナルのタトゥーシールブランド「opnner(オプナー)」を2015年にスタート。アパレルやアクセサリーブランド、異業種とのコラボレーションも積極的に行い、タトゥーの魅力を伝えるために日々奮闘している。

白い目で見られない、入店禁止もない。タトゥーで線引きされない広い世界との出会い

オプナーのタトゥーシール

岩谷さんの手描きのイラストをそのままいかした、オプナーのタトゥーシール。さりげないモチーフたちは、肌のうえにのせると、思わずにんまりしてしまう愛らしさ。

◆◆◆

岩谷さんがタトゥーの価値観を大きく変えたのは、学生時代に初めての海外旅行で訪れた、ポートランドでの光景だった。街を歩く普通の人々は思い思いのタトゥーを施し、そのことを誰一人として、気に留めるようすもなかったという。

「日本とポートランドでは、タトゥーへの意識がまったく違うことに驚きました。街のどこへ行っても、出会う多くの人がタトゥーを入れていて、それを隠そうともしていません。日本のように、タトゥーを白い目で見るような人もいませんでした。また、それを理由に入店禁止するようなお店もなくて、国によってタトゥーの価値観がこんなにも違うんだということに衝撃を受けましたね」

タトゥーをしているからといって、社会から境界線を引かれない初めての世界、それがポートランドだった。体を飾るだけでも、体を傷つけるだけでもない、人生そのものに寄り添うタトゥーという存在と社会との開けた関係性が、岩谷さんの心を動かす。

「ポートランドや海外ではもちろん、日本でも知る機会がないだけで、家族の誕生日や、自分にとって大切なものをタトゥーとして入れることも少なくありません。体に刻まれるタトゥーの一つひとつがその人の人生にとって大切な意味があるということを、海外ではより、社会全体が認めている雰囲気があります。私もその空気に触れ、日本でもタトゥーのイメージを変えたい、その入口になるようなことができたらと、タトゥーシールのブランドを立ち上げることにしたんです」

心労が重なり倒れて入院。それでも、思いを手放さなかった

そうして、大学3年生のときに自らのブランド「opnner(オプナー)」をスタート。しかし、そこから現在にまで続く道の途中には、大きなアクシデントもあった。

「ブランド立ち上げ、初の海外旅行と、慌ただしくしていた大学3年でしたが、その夏に母が他界しまして……。それでもなんとかオプナーを続けながら、就職活動も始めようとしていたところ、無理がたたって倒れてしまったんです。右耳も聞こえなくなり、まっすぐ歩くこともできなくなって、しばらく入院することになりました。入院中は毎日リハビリで、普通の生活もままならず、就活どころではなかったですね。でも、これまでやってきたオプナーだけは、手放すというイメージがどうしても浮かびませんでした」

最終的に心の声に従い、大学卒業後は就職しないことを選んだ。自分のブランドを続けていくことを決意した岩谷さんは、ただ一人で走り始めた。

「大学卒業後もオプナーを続けるべきかどうか、ということは、あまり周囲に相談していなかったかもしれません。今考えれば、就活のやり方を間違えたんじゃないかとか、それで本当に生活していけるのかとか、それなりに周りから言われた気もします。それでも、オプナーを手伝ってくれていた友達や家族からは反対されることもなかったので、案外、自然な道に沿って今もこの仕事を続けられているのだと思います」

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コロナ禍の医療現場から届いた意外なメッセージ

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