私が出会った美しい人
【第3回】画家 いわさきちひろさん
みなさんは、人生で初めて訪れた“ファーストミュージアム”がどこだったか、覚えていらっしゃいますか?
私は、東京の練馬区と長野県の安曇野にある「ちひろ美術館」の館長をしています。美術館がオープンしたのが1977年ですから、なんて長いお付き合い! でも、私がちひろさんのご家族と交流を持つようになったのは、実は、ちひろさんがお亡くなりになったあとなのです。
あるお誕生日の朝のこと。歌舞伎俳優の坂東玉三郎さんが、私に何かプレゼントをくださるというので、支度をして家を出ました。エレベーターを待っているとき、ふとドアを見ると、そこに朝刊が挟まっていました。エレベーターが来るまでと、何気なく新聞を広げたとき、いわさきちひろさんの訃報が目に飛び込んできて、私の目から、パラパラッと涙がこぼれました。お会いしたこともない人が亡くなって泣くのは初めてでした。
ちひろさんのご家族あてにお花を贈ったとき、そこにお手紙も添えました。そうしたら、お返事をいただて、文通が始まったんです。やがて、ちひろさんの美術館ができて、私の恩師である飯沢匡先生が館長をつとめることになって……。約1年後、「若い女性」という雑誌で、「窓ぎわのトットちゃん」の連載が始まったとき、ちひろさんの息子の猛さんに、「ちひろさんの絵を使わせていただけないかしら?」とお願いしたら快諾していただけたの。私は、連載の間は毎月美術館に行って、たくさんのちひろさんの原画の中から、エピソードに合う絵を選んでいました。
1989年に出版された「つば広の帽子をかぶって」という本があります。これは、飯沢先生がちひろさんの評伝を書き、私がちひろさんをよく知る人にインタビューした文章とで構成されています。本のためにたくさんの人とお会いして、ちひろさんがどういう人だったかを伺ったのですが、みなさん口をそろえて「もの静かで、優しかった」「ユーモアたっぷりの楽しい人でした」などとおっしゃいます。でも、どんなに絵の才能があっても、「画家になりたい」とは言い出せなかった時代です。親の言う通りの結婚をして、ちひろさんは最初の悲劇に直面します。「そばに来ても鳥肌が立つ」という相手と結婚したため、夫の仕事で大連に渡っても、ちひろさんは指一本触れさせなかった。大好きな妻に触れられない苦しみなど、いろんな理由があったでしょうが、ちひろさんの最初の夫は、自殺してしまったのでした。
そのことが、ちひろさんの心の傷になったことは容易に想像できます。でも、取材を進めるにつれ、飯沢先生と私は、それ以上に戦争がちひろさんの心に大きな影を落としたのではないか、と推察するようになりました。というのも、名門の女学校教師の家に育ったちひろさんのお母さまは、戦争中、大日本連合女子青年団(のちの大日本青少年団)主事として、開拓地の花嫁にと、満州国に多くの女子青年団員を送り出していたのです。またちひろさんは、昭和19年に、開拓村で書道の教職に就くという目的で満州に渡りました。現地に到着すると、日本で聞いていた状況とは異なるひどい環境に心身を病んだといいます。そして5ヵ月後に日本に戻ると、さらに日本の惨状を目にしてしまう。
ちひろさんの母が花嫁を送り込んでいた黒こくりゅうこうしょう龍江省は、その後、たくさんの中国残留日本人孤児を出しました。無知だったし、生きるために必死だったとはいえ、ちひろさんは、「自分もあの戦争に加担していたのか」と自分を責めたに違いありません。戦争は、人間の純粋な部分を、容赦なく踏みにじっていきます。
ちひろさんの絵を見ると、誰もが「うちの子どもみたい」とか、「学校の友達みたい」と感じます。それほどいろんな子どもを描いているということは、ちひろさんの中に、描かないではいられないものがあったからに違いありません。ちひろさんは、子どもの純粋無垢な部分に強烈に憧れ、白い紙の上に描くどの子のことも、生きている子どもと同じように、愛しく、大事に思っていたんじゃないかと思います。
ちひろさんの描く子どもの絵は、ただ可愛くて純粋なだけじゃない。ちょっとした後ろ姿にも、不安とかさみしさとか、いろんな気持ちが表れています。誰もが、子どもだった頃に戻れる絵なのです。もし、「私のファーストミュージアムはちひろ美術館です」という読者の方がいらしたら、ぜひ、あの絵を見てどんなことを思ったのか、聞いてみたいなぁ、なんて考えています。
画家
いわさきちひろさん
1918年〜1974年。生涯「子供の幸せと平和」をテーマにした子供の水彩画に代表される画家、絵本作家。戦中戦後の激動の時代に、鮮烈な人生を送った。(ポートレイト1973年/ちひろ美術館・東京)
─ 今月の審美言 ─
「子どもの無垢な部分に強烈に憧れ、絵の中のどの子のことも、生きている子どものように愛しく、大切に思っていたんじゃないかしら」
撮影/新垣隆太 取材・文/菊地陽子
Edited by 新井 美穂子
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