学び直すと結婚する人が多いのはなぜなのだろう?
今、にわかに増えているのが、学ぶ人。30〜50代で大学に戻ったり、進学しなかった大学に改めて入学したり。ともかくカルチャースクールや社会人向け講座に通うのではなく、大学で学び直す人が、明らかに増えているのだ。
相川七瀬が國學院大學に通えば、スザンヌは日本経済大学に、さらに3人の子どもを抱えつつ、タレント活動しつつ、小倉優子が早稲田大学を受験するというニュースは、驚きを持って伝えられた。
こんなふうに昨今、芸能界でも“学び直し”をする人自身が注目を浴びている。もちろん事情はそれぞれなのだろう。若いうちに売れてしまい、進学するタイミングを失ったから。逆に、年齢を重ねて仕事の幅を広げるため……。
相川七瀬のように、神事に関わる経験をしたことから、それを学術的に学びたいと思うようになり、神道文化を学ぶために大学に通い始めたという、学究心の芽生えから学び直すケースもある。
KAT-TUNの中丸雄一は24歳のときに早稲田大学eスクールで学んだ理由を、中学3年でジャニーズ事務所に入所してそのまま大人になり、きちんとした大人の会話ができていないことに苦慮したからと語っている。田村淳は青山学院大学受験に失敗し、その後、慶應義塾大学大学院に進んだことも話題となったが、多くのMCを務め、いわゆる地頭のよさが評判だった人は、ある種の挑戦として大学受験を試みたのだろう。単純な箔付けではなく、むしろ自分の可能性を切り開くため。
一方、80年代にアイドルとして一世を風靡した菊池桃子は、40代に入ってすぐ法政大学大学院に通い、母校の戸板女子短期大学の客員教授となるが、さらにその数年後には、政府の「一億総活躍国民会議」の民間議員に抜擢されている。
まさしく学ぶことで新境地を切り開く結果となったが、雇用学を学ぶきっかけになったのも、シングルマザーとして2児を育てる立場から「弱者を守れる社会へ」という切実な思いがあったと言われる。
ちなみに、菊池さんはその後再婚していて、お相手は民間議員となったときに出会ったキャリア官僚である。思いがけなく大きな幸せをつかんだと言ってもいいが、苦悩を抱えて学問にすがったことが、運命を大きく転換させたわけで、心から学びたいと思う人に、運命は味方をしてくれるのだと見ていいと思う。
まさしく理由はそれぞれ、たとえ新しい仕事を得るためであったとしても、ある種トレンドに乗っかったのだとしても全然構わない。そもそも学ぶことは自分の中に眠る潜在能力を引き出すためにこそあるわけで、どんな理由であれ、それは丸ごと評価できることなのではないか。
さて一般社会でも、仕事を辞めて大学に通う人が急増している。もちろんそこには葛藤もあったはずだ。このまま仕事を続けていても先が見えず、ここで立ち止まって自分を見つめ直そうと思ったかもしれないし、卒業以来ずっと突っ走ってきた仕事を一旦お休みしたいと思ったかもしれない。ある人は、今やどこの企業に就職したかより、個人としてどんな才能を持っているかの方がずっと重要な時代だからこそ、一流企業を辞めても大学に入り直したいと思ったと言った。中には、先に会社を辞めて、自分が何者か本当にわからなくなり、自分に何ができるのか一から知るために、何となく大学に入学したと証言する人もいる。
そう、一般人の場合は「進むべき道がわからなくなって」というケースが少なくないのだ。それって現実逃避じゃない?と見えてしまうかもしれないが、学ぶことは逃避じゃない。いや最初の動機は逃避であっても、ひとたび学び始めれば、自分が生きていく道を探すためなのだという前向きな心が生まれてくるはず。
どちらにせよ学び直す最大の理由は、「自分の中に何かが足りない」と気づいてしまうこと。その気持ち、わかりすぎるくらいにわかる。年齢を重ねるほどに、何だかやり残したこと、足りないもの、置いてきてしまったものの大きさに悩むのが人間だから。そう気づくタイミングにこそ“学び直し”を持ってくると、きっと人生うまくいくのだろう。
ところで不思議にも、学び直すと結婚する人が多いと言われるが、一体なぜ? 思うにそれは、自分を一からやり直して心が白紙になり、素直になれるからではないのか。そもそも人間、大人になるほど人の意見を聞かなくなるが、学び始めると自ずと謙虚になり、人の意見を聞けるようになる。つまり傲慢だから結婚できなかった人が、たちまち結婚できるようになるってことか?
知らないことだらけのままでは死ねない
現在もディオールのミューズを務めるナタリー・ポートマンは、ハリウッド一の秀才と謳われる人。子役として注目を浴び、女優としての活躍が期待されたが、休業して通ったのがハーバード大学。「学問のためにはキャリアを失ってもかまわない」と発言したのは有名で、演技も美貌も超一流で、20代をトップ女優として生きることもできたのに、学問を選んだ人は学ぶことの重要性を大人になる前に知っていたのだろう。
でも、気づく年齢も人それぞれ。もちろん早く気づくに越したことはないけれど、いくつになっても遅すぎるということはない。生涯のどこかで学ぶことが財産になるのは間違いないのだから。
自分自身、ちょうど30歳になる前、生まれて初めて無性に勉強したくなった。実際仕事に疲れていたのかもしれないが、どんなに勉強が大切だったか、社会に出て初めてわかったから。学生時代は遊び呆けていて、社会に出てから、なぜあのときもっと勉強しなかったのだろうと、思いっきり後悔したのがきっかけだった。
でも、当時の自分には仕事を辞めてまで大学で学び直す勇気はなかった。実はとても勇気のいることなのだ。経済的な問題もあるけれど、途中で挫折したり、学ぶことが面倒になったり、辛くなったり、また仕事を辞めたことを後悔したり、そんな中途半端な自分を自分に突きつけてしまうのも怖かったから。その後も何度か学びたい衝動に駆られたが、結局やれずに悶々としていたもの。
ところがさらに歳を重ねて、今度はこう思うようになったのだ。こんな無知なまま死ねないと。若い頃は自分が無知であることにすら気がつかず、こんなものだろうと思ってきたが、全然そうではなかった。歳を重ねるほど、知らないことが多いのに驚き、怖くなり、このまま死んじゃまずいと思うようになっていた。しかも、もはや時間を無駄にできない年齢、最近は何だか知らないが、時間があればNHKの教養系アーカイブを覗いている。人間のこと、地球のこと、社会のこと、芸術のこと、本当にまだまだ知らないことだらけだから、少し興奮気味に。
相変わらず大学に通い直すような勇気はないけれど、でも自分にそうした知識欲が湧いてきたのはまんざらでもなく、ちょっと嬉しくなっている。学ぶことって実に清々しく、何だか心身が浄化される感じ。その快感に生まれて初めて気づいて、それもまた嬉しいのだ。
秀才は、学ぶことが好きだから秀才なのだと言われるけれど、自分にも学ぶことが好きになるタイミングがようやくやってきたのだ。それがもっと早くに来ていれば、人生変わったかもしれないが。
知識はひけらかすためにあるのではない。ただ自分の中で知識を熟成させれば、話題豊富な、会話していて面白い人になるのは言うまでもないこと。ましてや人生が楽しくなる、充実する。何をしても何を見ても何を聞いても、何倍も心に響くようになるからだ。
今でなくてもいい、でもいつか気づきたい。そのときまでに何を学ぶのか、明快なテーマに出合っておくと、学ぶまでの時間が期待と希望で満たされる。知りたくて知りたくて心がパンパンになるだろう。それだけで細胞が沸き立つはずだ。知識欲って、実は意外なほど人を元気にイキイキさせる。人を若返らせたりもする。たぶん物質欲よりも。コレも一つの美容と言えないだろうか?
撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳
Edited by 中田 優子
公開日:
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