自分を見つめる時間が、自分を愛し“解放”することを可能にする
もともと、この“解放”という言葉は、社内で同好会活動をすることに馴染めなかったミジョンや、部長、姉と後に交際することになるチョ・テフンが、自分たちで「解放クラブ」を結成するところで、出てくるものである。
この「解放クラブ」の規則には、「幸せなふりをしない」「不幸なふりをしない」「正直に向き合う」というものがあり、クラブのメンバーたちは、それぞれに「解放日誌」をつけていて、ある意味“書く”ことが、自己を見つめ、癒やしたり、認めたりすることにつながっているともとれるようになっていた。
しかし、このドラマの“解放”は、これ以外でも、さまざまなところに描かれていて、答えがひとつではないのも良いところだ。
郊外の閉塞感からの解放ともとれれば、都会の複雑な人間関係からの解放ともとれるし、アルコールに依存し世を捨てたような謎のクをミジョンが解放しているようにも見えれば、クという社会とは隔絶した存在にシンパシーを感じることでミジョンも解放されたようにも見える。
こうした「あいまいさ」は、あいまいだからこそ多くの人の共感を呼ぶことになるし、かつては「はっきりした敵に対して、はっきりした答え」を出していたように思われた韓国ドラマの、新たな一面だとも捉えられる。むしろ「あいまいさ」は日本のドラマに顕著であったものであるし、坂元裕二の作品が韓国でリメイクされるのもわかるような気がしてくる。
この原稿を書いていて、いつ触れようかと考えていたが(冒頭で書けば話題に安易にのっかったようで、この文章の本質が薄れて見えたら残念だからだ)、先ごろBTSのRMが「アイドルというシステム自体が人を成熟させない」のではないかとし、グループでの活動について立ち止まることを発表した(後に事務所はグループとソロ活動を並行して行うと発表)ことは、ある種の“解放”であると見ることもできる。
自分を見つめたり、振り返る時間を持つことこそが、自分を愛し、肯定し、そして解放することになるという意味では、ここで書いてきた本やドラマとも繋がっているように思える(もちろん、BTSのジョングクが『私は私のままで生きることにした』を読んでいることは有名なエピソードであるが)。そして、「前を向くために立ち止まれる」ということにこそ、社会の成熟が感じられるのだ。
作品紹介
『私の解放日誌』
性格がまったく違うソウル郊外に住む三兄弟。代わり映えしない毎日から抜け出そうと、自由と生きがいを求めて奮闘。そこに謎の男・クが現れて……その目的とは?
文/西森路代
Edited by 大森 葉子
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