私が出会った美しい人
【第2回】アンゴラのユニセフ所長夫人
私は、1984年にユニセフ親善大使に任命され、以来1年に1ヵ国のペースで、戦禍や災害などによって飢えや貧困に苦しむ子どもたちのいる国を訪問しています。厳しい情況の中では、「わぁ、なんてきれい!」と思う女性に出会うことは、ごくごくまれです。ただ、1989年にアンゴラでお会いした女性は、「こんなにきれいな人、見たことない!」と目を奪われ、息を呑みました。
アンゴラ共和国は、アフリカ西南部の大西洋岸にあります。1975年にポルトガルから独立するまでには、14年にわたり、独立戦争が行われていました。独立後は、社会主義国に支援された政府軍と、アメリカや南アフリカからの援助を受ける勢力との間で内戦が始まります。私がアンゴラを訪問した89年には、国家予算の60%が、軍事費に回されていたといいます。80年から89年まで、内戦で死んだ50万人のうち、33万人は子どもでした。
迎賓館と呼ばれる建物でも、停電はしょっちゅう。お風呂場ではお湯はもちろん、お水も出ません。孤児院や学校を訪問すると、そこに靴を履いている子どもはいなくて、机もなければ椅子もない。コンクリートの床に直に座って勉強をしています。地方の州に移動するだけでも大変な苦労でした。まず、爆撃の危険を冒してまでチャーター機の操縦をしてくれるパイロットが見つからないのです。ようやっと移動ができても、今度は車の移動の際に、もしトイレに行きたくなったら、停まった車の近くでするしかないのです。少しでも道を外れて、草むらで用を足そうと思ったら、そこに地雷があるかもしれないからです。草むらを歩くときも、心配は地雷でした。
そんな中でも、女性たちは元気でした。ある日難民キャンプで出会った女性たちは「歓迎の踊りをします」と言って、高い鳥のような声を出し、力強く歌を歌いながら、全員で踊り出しました。歌に合わせた手拍子と足拍子で、地面が揺れるほどです。40度以上の暑さの中、1時間も歌い踊り続けて、私がその場を去った後も、まだ踊っていたのです。「家はなくなったし、夫も、どこにいるかわからないけど、生きているのだから、とにかく今日は踊りましょう」という感じです。
そうそう、絶世の美女の話でしたね(笑)。首都のルアンダにあるユニセフの所長さんはセネガル出身で、190cm以上の長身でした。セネガルは、アフリカの中でも特に長身で知られる国です。ユニセフ主催で、各国の大使とのお食事会が開催されたある晩のこと。あたりは停電中で、ロウソクの灯りの中で、テーブルについていると、突然ベルリンの壁崩壊のニュースが届きました。みんな「わー!!」と興奮して立ち上がって、「ゴルバチョフにノーベル賞を!」などと叫びながら、誰もが満面の笑みで長い間拍手を続けました。
ゴルバチョフさんというのは、旧ソビエト連邦(ソ連)生まれの政治家で、1985年にソ連の最高指導者である共産党書記長に就任して、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)などの大改革によって合理化や民主化を推進、ノーベル平和賞も受賞した政治家です。ベルリンの壁が崩壊して、東西に分かれていたドイツがまた一つになる! と歓喜していると、暗闇からスッと、真っ白な民族衣装を身につけた女性が現れました。所長の奥様でした。「カフタン」と呼ばれるその民族衣装は、真っ白な生地に、金の糸で刺繡が施されています。奥様は身長が180cmぐらい。褐色の肌と白いカフタンとのコントラストが、本当に素敵でした。
その女性を近くで見ると、「生まれてこのかた、こんなきれいな人、見たことがない!」と驚くほどの美しさ! 顔が小さくて目が大きくて、鼻がピュン!って上を向いています。唇はまるで、「これが唇です!」とでも主張するように、くっきりと線で描かれたような、完璧な形。パリに行ったらすぐスーパーモデルです。お話ししてみると、教養もあって、内面も魅力的でした。
でも、私が思う、その人の一番きれいなところは、自分をきれいだって思ってないことなのです。自分の美しさを自覚もしていなければ、鼻にかけてもいない。彼女が口にするのは、「子どもたちが助かりますように」という祈りだけ。それは、たとえるなら、聖母マリアのような清らかな美しさでした。
あれから30年以上が経って、また世界が分断されようとしています。戦争で犠牲になるのはいつだって弱くて罪のない子どもたちです。ベルリンの壁崩壊のニュースを知って熱狂したあの夜も今も、「私にできることは何だろう?」と、自分自身に問いかけています。
1949から64年までユニセフは日本の子どもたちに、粉ミルク(脱脂粉乳)などの食糧を供給。後年、徹子さん自身も第二次世界大戦後にユニセフからの物資援助の世話になっていたと知り、親善大使を引き受けた。
33年前、内戦の続くアンゴラを訪問。難民キャンプで出会った女性たちは、「生きているのだから踊りましょう」とばかりに、地面を揺らすような激しさで踊り続けた。
─ 今月の審美言 ─
「彼女が口にするのは、『子どもたちが助かりますように』という祈りだけ。それは、聖母マリアのように清らかな美しさでした」
取材・文/菊地陽子
Edited by 新井 美穂子
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