連載 黒柳徹子 私が出会った美しい人

【黒柳徹子】夢はどこでも見られます。現実がどうであろうと。

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【黒柳徹子】夢はどこでも見られます。現実がどうであろうと。

黒柳徹子さんが、8年ぶりにVOCEでの連載を再開。「私の長い人生の中で、美しいなと思った人のことをお話ししていきます」

黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第1回】作家・エッセイスト 森茉莉さん

「あの時代に、ゲイの小説を本格的に書いたのって、彼女が初めてなんじゃないかなぁ」。今から50年以上前、俳優とか文化人のサロンのようになっていた六本木のお寿司屋さんで、森茉莉さんの書いた「枯葉の寝床」や「恋人たちの森」について、作家の三島由紀夫さんがそう話していたことがあります。たまたま、この両方の小説を読んで、不思議な世界に目を丸くしていた私は、「そうか、やっぱりあの小説はすごいんだ」と納得することができました。私が森茉莉さんと知り合いになったのは、それから10年以上の月日が流れた、1982年のことです。

当時、森茉莉さんは、週刊新潮で「ドッキリチャンネル」というテレビ批評を連載していました。あるとき、赤坂プリンスの旧館で、女性ばかりの発起人でパーティが開催されたときのこと。発起人の一人に選ばれていたにもかかわらず、私が少し遅れて会場入りすると、小さいステージ上に椅子が3つほど並んでいて、そこにちょこんと女の人が座っているのが見えました。頭にグレーのネッカチーフをかぶった小柄でぽっちゃりとした、健康そうな女性です。当時私が連載をしていた「話の特集」編集長の矢崎(泰久)さんに、「あの方は?」と聞くと、森茉莉さんだと教えてくれました。私のことをテレビ批評で書いてくださっていたのを読んでいたので、「黒柳徹子です」と挨拶に行くと、私たちは一瞬でお友達になりました。私の車に森茉莉さんを乗せて、二次会のレストランに行ってからは、私たちはオムライスや、カレーなんかを、女学生のようにガツガツ食べました。二人とも、お酒は一滴も飲んでいません。私が、「お送りしましょうか?」と言うと、「是非!」とおっしゃるのでお送りしてアパートに着くと、「お寄りにならない? そうお引き止めはしないわ。2分! いいでしょう?」と茉莉さんに誘われ、私たちは一緒に、団地のような建物の二階の茉莉さんの部屋に向かいました。

廊下の突き当たりの部屋のドアの前には、廊下に向かって、空の、ざるそばやお丼ののった出前のお盆が、5枚ぐらい並んでいました。部屋に入ると、新聞がうずたかく積んであり、その上にも出前のお盆が斜めにのっています。部屋は、お台所兼食堂のような、三畳ぐらいの部屋で、電気をつけた途端に大きなゴキブリが5〜6匹走り去っていきました。普段は1匹でもゴキブリがいたら「キャー!」と殺虫剤を持って駆けずり回る私が、なぜかこのときは平気でした。茉莉さんが、「何かお飲みになる? 確かコーラがあったはずなの」と言って、座っていた籐の椅子をぐーっと押すと、そこには小さな冷蔵庫が。嬉しそうに、一本だけのコーラを取り出したのですが、栓抜きが見当たりません。物のないお台所で、料理をしている気配は、ありませんでした。必死で探したら、栓抜きは、ガス台のあたりで見つかりました。「ありました! 栓抜き」と私が言うと「半分ずつ、飲みましょうね」と茉莉さん。でも今度はグラスがないのです。テーブルの上の小さな食器棚にお湯呑みがあったので、私が「これでいいです」と言うと、茉莉さんは、「グラスは、ベッドの所にあるんだった」と言って、冷蔵庫のそばの襖を開けると、その部屋は天井に届くほどの新聞や雑誌が積んであって、ベットまで獣道(けものみち)のような道ができていました。「あったわ、グラス。あなたこれをお使いになって」と言うので、私はそのグラスを洗って、私の持っていたお湯呑みを茉莉さんに渡して、コーラを半分ずつ注ぎました。「乾杯ね」と言うと、グラスとお湯呑みがカチンと鳴って、私たちは笑い合いながらコーラを飲みました。

今もときどき、私は思い出すのです。どんな上等なグラスで、どんな豪華なパーティで「乾杯」をしても、あの夜の茉莉さんとの「乾杯」の贅沢さには敵わない、と。茉莉さんは、文豪のお父様のことやお見合いや結婚や離婚のこと、いろんな話をしてくださって、2分だけのはずが、結局4時間もおしゃべりをしていました。

次の日、茉莉さんは電話で、「今日、息子がガールフレンドを連れてきて、私のベッドの足元で、半日囁き合ったの。もううんざりっていうくらいよ」と話していて、そこに広がる美しい光景には、昨夜の新聞の山はどこにもありませんでした。幻想的で妖艶と言われる美の世界を、あの中から生み出していたことを知って、私は、茉莉さんの才能にあらためて胸を打たれ、感動しました。自由な魂を持った茉莉さんにとって、現実の生活などどうでもいいのです。「夢はどこでも見られます。現実がどうであろうと。あなたの夢ですもの、ご自由にどうぞ。それが人間の面白い所じゃないの」と、茉莉さんの作品は、私たちに語りかけているのです。私たちは、毎晩、電話で長ばなしをしました。

茉莉さんが亡くなったとき、私は外国にいたのですが、日本に帰ってから、「死後2日経って見つかった孤独な死だった」と聞きました。でも、私は「それもなんだか茉莉さんらしいなぁ」と思ったのでした。

「わが愛と性」(創樹社)
2人が「一瞬にしてお友達になった」パーティの様子を、雑誌の企画で田辺聖子さんに密着していた写真家の荒木経惟さんが偶然撮影。左下の写真で徹子さんの隣に座っているのが茉莉さん。
「わが愛と性」(創樹社)
「わが愛と性」(創樹社)より。

作家・エッセイスト

森茉莉さん

MARI MORI。文豪森鷗外の娘。19歳で仏文学者と結婚し1年間滞仏(その後離婚)。幻想的で優雅な小説を得意とし、エッセイストとしても活躍した。

─ 今月の審美言 ─

「夢はどこでも見られます。現実がどうであろうと。あなたの夢ですもの、ご自由に。それが人間の面白い所じゃないの」

撮影/新垣隆太 取材・文/菊地陽子

Edited by 新井 美穂子

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