VOL.3紅ゆずるさんからのエール
「立ち向かわずに凌ぐだけでも、大丈夫」
オーディションで、『アンナ・カレーニナ』の2番手アレクセイ・カレーニン役を射止め、その作品を観に来ていた小池修一郎先生に「あなたが紅さん?」と声をかけられた。続く『スカーレット ピンパーネル』では、本公演で安蘭けいさんが演じたパーシー・ブレイクニー役を、またもオーディションで勝ち取る。新人公演ながら、小池先生に徹底的にしごかれ、本公演でも鍛えられる。一度も褒められなかったが、それ以降、役を与えていただけるようになった。地獄を味わいつつ、生涯の恩師と出会う、20代後半が転機となった。そんな日々を過ごした紅さんが、当時を振り返って今、思うこと。
紅ゆずる(くれない ゆずる)
8月17日生まれ。大阪府出身。2000年宝塚音楽学校入学。’02年、宝塚歌劇団に第88期生として入団・初舞台。星組に配属。’16年、星組トップスターに就任。’19年、『GOD OF STARS-食聖-』『Éclair Brillant(エクレール ブリアン)』東京宝塚劇場千穐楽をもって退団。
20代半ばで初めて大きな役がついた時、
待っていたのは容赦ない試練の連続だった
昔から思い込みが激しいんです。小学校3年生の時かな。『ピーターパン』のミュージカルを観てすっかりハマってしまい、親に緑の服を買ってもらって、自分をピーターパンだと思って1年ぐらい生活していたことがある(笑)。11歳で初めて宝塚と出会った時には、「宝塚に入る人生しかない」と思い込んでいました。
宝塚に入った時の成績は50人中47番。優秀な受験生が多い期でした。せっかく入ったからにはトップスターを目指したい。でも、劇団に入ると何回か試験があって、私の成績はずっと下位でした。そんな中、途中から、ちらほらと同期が辞めていくんです。厳しさに耐えられない者あり、この道じゃないと思い直す者あり、成績がいいのに使われないからと去っていく者あり。それぞれにいろんな理由があったようです。20代半ばに将来のことを考えて迷うのは、宝塚の生徒も、普通にお勤めしている人も同じだと思います。
香盤(配役)が決まる試験のたびに、下位の成績を彷徨っていた私には、一つ決めていたことがありました。それは、新人公演が終わるまでは、どんなに出番が少なくても、宝塚にしがみつこう、ということ。宝塚に入っている自分が好きでしたし、内心では、「いつか見ておれ! 絶対にこの人たちが唸るほどのものをやってやる」という思いがありました。
たぶん、20代半ばを過ぎたころだったと思います。宝塚大劇場に隣接する小劇場・宝塚バウホールで若手育成のための公演として、『アンナ・カレーニナ』が上演されることに。私はそのオーディションを勝ち抜き、なんと、2番手の役をいただけたんです。それまで役らしい役を勝ち取ったことのなかった私が、初めて堂々と「あの舞台では、この役を演じました」と言える。そのことが嬉しくて、ただただ楽しみながら、舞台をやり切ることができました。そして、続く『スカーレット ピンパーネル』の新人公演のオーディションでは、なんと主役に抜擢されたのです!
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主役に抜擢され、待っていたもの