小さいころから大好きだった宝塚は、青春のすべて。
──愛月さんにとって【宝塚歌劇団】はどんな存在で、どんな場所だったのですか?
愛月さん
やはり、青春のすべて、でした。宝塚を小さいころから観ていましたから、ただ観るだけのファンだったときも、入団を目指していたときも、入団してからも……。自分の人生の本当に一部だったので、辞めてもなお、“そこにいた”という事実は自分の中に一生残り続けるものなのだと、改めて思います。“教える”という仕事もスタートしましたが、それも後輩に何か残していくという大切さを感じるからこそ。それは上級生になればなるほど生まれてきた感覚だったんです。教え始めたばかりで、自分でもまだそこに自信があるわけではありませんが、少しでも宝塚に対する熱量が濃い子たちが入ってくれればいいなという思いがあります。
──音楽学校時代、下級生時代、そして二番手を務めていたとき、それぞれの思い出は?
愛月さん
私、音楽学校のときはひたすら怒られていた記憶しかないです(笑) 何をやっても見つかっちゃうタイプなんです、私。同じことをやっていてもバレるタイプとバレないタイプっているじゃないですか! 私は何をやっても悪い部分が目立ってしまうんです。何で怒られたのか、思い出せないくらいです(笑)。
愛月さん
下級生の最初のほうは、あまり成績が良くなかったんです。同期全体の中では真ん中くらいだったんですが、下級生時代というのは成績がとても重要なんですよね。せっかく男役のナンバーがあっても自分はひとつそこに手が届かないみたいな状態がずっと続いていました。それがめちゃめちゃ悔しくて悔しくて……。新人公演も同期は研1、研2のときから大きい役だったり、新公卒業したての若手スターさんが本役でやられている役をもらっていた状況なのに、私には全然役がつかなかったりとか……。だから、絶対に成績を上げないといけない!というのは常に頭にありました。とにかく役がつくまではそれがコンプレックスで。研3のときに小池修一郎先生の『カサブランカ』で、シュトラッサー少佐という役を新人公演でいただいたのが、初めての大きな役でしたね。そこから少しずつ開けてきた、という感じでした。
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星組に異動してからの愛月さんは?