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日本映画と韓国映画の違いから読み解く『ボクたちはみんな大人になれなかった』理由

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『ボクたちはみんな大人になれなかった』のはナゼか? 韓国映画と日本映画の違いから見えてくる、個人的な「感傷」と社会への「憤り」

ベストセラー小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』が映画化された。はたして、「エモさ」「感傷」にだけ向き合えばいいのだろうか? 村上春樹作品、そして日本映画と韓国映画の違いを通して見えてくる日本社会に漂う空気をライター西森路代さんが読み解く。

エモくてセンチメンタルな『ボクたちはみんな大人になれなかった』

燃え殻による小説を森義仁監督で映画化した『ボクたちはみんな大人になれなかった』が全国の劇場とNetflixで公開されている。この映画は、森山未來演じる主人公のボクが、1995年からのさまざまな出来事、特に恋愛を振り返りながら今に至る物語である。主演の森山未來が原作者の燃え殻との対談でこの作品のことを「エモくてセンチメンタルなところが魅力」と語っているが、作品を観て、現代の観客がエモい物語を求めている空気をよく捉えていると思えるし、自分自身も同じ時代を懐かしく振り返ることができた。
※森山未來×燃え殻対談。『ボクたちはみんな大人になれなかった』が、映画化されたことで得たもの/PENより

ボクたちはみんな大人になれなかった

この対談が面白いのは、森山が「エモいものをエモい感情で表現することほどダサいものはないから、センチメンタリズムに埋没せずに、いかにこの時間を過ごせるだろうか。そこからのスタートでしたね」と言えば、燃え殻も「どこの馬の骨ともわからない者の連載」だから「どうしてもPV数をとる必要があったんですね。だから、自分のなかから出てくる言葉に対して塩胡椒でも砂糖でもなんでもかけてやるぞ」と答えているし、原作のセンチメンタリズムを「成仏」に例えたり、「過去に落とし前をつける」とも表現しているのが興味深い。

この映画を観ると、確かにセンチメンタルな気持ちになるが、演じた俳優や原作者が、感傷にケリをつけようとしているようなこの対談にも共感ができた。

また、その振り返りの見せ方が、2000年公開のイ・チャンドン監督の韓国映画『ペパーミント・キャンディー』を思わせるという感想もいくつか見かけた(公式パンフレット内でも監督が影響を受けた作品として触れられている)。確かに、振り返りながら、主人公の輪郭がはっきりしていくという手法としては共通した感触だが、似た感触があるだけに、描かれているものの違いも際立ってくる。

韓国の『ペパーミント・キャンディー』の場合は、その振り返りに1980年の光州事件が深く関わっている。映画の冒頭では、ソル・ギョングが演じる主人公のヨンホが自暴自棄になって電車に飛び込むシーンから始まり、その電車に乗って、現代から過去に向かって線路を逆走するような感覚で彼の人生を振り返っていく。劇中、現在のヨンホは粗暴で、いうなれば「有害な男らしさ」を持った存在にしか見えないのであるが、振り返れば振り返るほどに、彼が本来は粗暴な人ではなかったことが見えてくる。さまざまな経験により、彼がそうならざるを得なかったのだということがわかってくるのだ。

ペパーミント・キャンディ

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日本映画はカルチャーで自分を振り返り、韓国映画は政治で自分を振り返る

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